第1740話 挑戦
- 2020/05/27
- 11:08

若い私も実際に色々と他派武術の浮気をしていたことがありますが、もちろん、本格的になにかをやったとは言えません。だって、少しでも不純な動作があれば、先代の二人は直ぐにわかってしまうのですので、はっきり言ってやると必ずばれますね。ならば、私の性格としては、真面目に全部報告してしまうことです。どこどこの流派を訪ねたいとか、どこどこの格闘技を体験したいなど、いやいや、もしかして思春期かもしれませんが、一時は何故か色々と体験をしてまいりましたね。私は八卦とモンゴル相撲、最終的には中国の特務部隊(特殊部隊)も体験訓練させていただいたことがあります。当然、軍隊の中で相当の影響力ある幹部の紹介でなんとか一週間の期間限定で部隊の皆様と一緒に生活していましたね。もちろん、射撃訓練と機密伝達は最初からなしとの承諾書にも署名しないといけない部隊のかなりの異例中の出来事でした。
一週間の地獄の生活はさておき、私は一週間ぶりに師匠の練習に戻っていたら、師匠は私の慢架を見てびっくりしましたね。師匠の二人は私は多分この一週間では慢架の練習がないでしょうと思ったらしいです。でも、私は結果的に自由時間で慢架を練習しました。しかも、多くの軍人さんと仲良くなれたので、私が慢架を練習すると皆も一緒に練習していましたね。格闘訓練の時間で実際に呉式の散打技を試したのですが、私は軍人の皆様よりも明らかに3歳くらいの年齢差もあって、力の差は厳しい訓練の結果を覗いてもあったわけですので、格闘訓練の中で当時の皆さんは私が練習している武術の実用性を肌から感じたと言っていましたね。よって、私が自由時間でそれでも練習しているので、皆も何故か少々感動したとかで呉式の慢架を懸命に練習していましたね。まあ、少林拳に似てしまう人もいれば、南拳のように太極を練習する人もいました。
そもそも、当時の中国の「特務部隊」は基本的に民間の武術の練習はしない方針です。彼らの訓練は並ならない厳しさがあり、自由時間で自分自身の好きな武術の訓練は体力的には余裕がないと思います。当時、「少林寺」という映画があったのですが、何故かいちはやくテレビにも出したことで全国民のほとんどが少林寺熱で狂っていたと言っても過言ではありません。がしかし、映画の早回しでも彼らにとってあまり早く感じないようでしたね。
まあ、私にとっての最も辛かった訓練は毎日の10キロ走ですね。短距離がまあまあ速くて得意ですが、長距離は本当に苦手です。しかし、一週間の「特務部隊」の体験で体重は6キロも落としましたね。
時間があれば、毎日ではなくてもよいですが、3キロくらい走れば、多少は痩せる気がしますね。
しかし、何故、軍隊生活を体験したのかというと、他の凄い格闘を知りたかったのです。もちろん、懸命に学んでいる太極は本当に実用かどうかの鑑別もあります。まあ、浮気をしたくなった気持ちはありましたが、呉式の散打は半端ながらでも結構効いていたこともあって、私は呉式を続いてきましたね。まあ、あんなゆっくり動く拳法、本当に武術として成り立つかどうか、そして、今日になって、太極は当たり前かのように健康法になったこともあって、太極は別にゆっくり動いても速く動いても、そこまで太極の実質的なイロハを追及する人間はかなり減ったと実感していますね。
私の研究会で太極は勝てると信じて練習を続けている方がいます。その方々も時々、実際にこう攻められたらどうすればよいかを伺ってきます。彼らは恐れながら、または恭しい気持ちで色々と聴いてきますね。何故かと言うと、私は普段、推手しか教えていませんので、いきなりの散打は失礼ではないかと、これもまた日本国民の美徳だと感じていて、私は現在、日本人としての美徳をかなり学習してもまだまだずれる時があって、実際にこの国の親より幼い頃から日本で生息していないので、この学習もおそらく生涯続くのだろうとかんじています。
当然、このようにゆっくり動く太極は本当に格闘の中で実用価値があるかどうかは、多くの人(自分含む)が疑問に思っても仕方がありません。アフターコロナでは、長く一緒に練習してきた方でご希望があれば、太極の用法なども徐々に取り入れたいと考えております。もちろん、一発きたらどう一発返すのような練習ではありません。
そして、推手は元々攻めと守りの技になりますね。力いっぱいで押すというよりも、軽く触るだけで攻撃や発勁をしていますね。道の考えでは一発で人を殺すよりも一発で自分を危機から守っていればよいことになっており、武術のスタイルもその武術のバックに潜んでいる思想によって決められますね。
私は太極を練習すればするほどに、太極の奇しき考え方に惹かれてきました。太極思想の基本は自己への心身にわかり挑戦になり、それこそ、自身の弱さを知らない人はこれらの哲学は理解できないでしょう。
人間は健康管理ほどに難しいことがないと言い続けてきました。健康維持と生命維持はもはや自身の限界への挑戦でもあり、格闘の世界で誰々とかどこどこの流派にかつことよりは遥かに困難です。
武術の進歩も健康維持も毎日の絶えない訓練と、その武術への信頼になります。太極を提供する者の責任は本当に重大ですよ。太極について何もわかっていない人間は直ちに太極を教えるのを自粛してください。
宜しくお願いします。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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