第1742話 動きの幅
- 2020/05/29
- 08:48

人間は寂しい時期であればある程に過去の懐かしき日々や幼い頃の出来事、または青春時代の熱き思いでがなんとなく浮かんできます。まあ、暇だからですね。昨日は飛行機の安検の際に何故か私の荷物を全部開けてしまいました。まあ、本当に暇です。安健員は総勢20数名もいますね。通った客は私だけ、私の荷物を全部開けて、一通り検査を終えても他のお客様が来ません。日本は本当に暇になりましたね。私はの本当は色々と考えなければなりませんが、しかし、いくら考えても解決できない問題であれば、無理にして考え込んでも体が疲れるだけでしょう。私が近頃に懐かしい過去を思い出していることは結果的に暇だからでしょう。それは本当にいけませんね。
コロナづかれがないと言ったら嘘ですが、しかし、このようなご時世でいかなる口実やいかなる言い訳、どのような愚痴をこぼしても結果が出ません。多くの人が疲れています。昨日は午前中に数人と公園で練習しましたが、練習の際中に非通知の電話がかかりましたね。一応、取り損ねたのですが、取れそうでもいきなりの非通知はなんとなく取りたくないではないでしょうか。変な広告かもしれませんし、詐欺かもしれませんし、ワンギリかもしれませんと、それこそ、国の景気が落ち込むと暇な人が増えて、金銭を騙そうとする人も増えるわけです。それこそ、警察は全力をつくして詐欺を検挙しなければなりませんが、最近では池袋駅の地下で警察は何故か外国人ふうの人の鞄や財布を全部あけて、人のポケットにまで手を突っ込んで検査しているようですが、私は法を解釈できる立場ではないので、なんとも言えませんが、日本の警察はここまでの権限はないかもしれません。ただ、外国人は何も知らなくて、言葉も通じないのでまんまんとやられているだけでしょうね。私ならば、しっかりと反論しますね。
もちろん、世の中にはいかなることにおいても何も動じずにじっくりと構えて、周囲ないし世界範囲を見渡しているだけです。これは、本当の大物だと思いますね。私はこのような落ち着きさがあれば、とっくに偉くなったと思います。逆に申しますと、生活が安定していれば、世の中の色々な凄まじい出来事とあんまり関係していなければ、このくらいの階級の人は当然、性格は安定していて、いかなる事件が起きてもただじーとして、普通に色々な出来事を観察しているだけの行動がとれます。もちろん、無関心ではなく、多くの入り混ざっている変化のどれが一番これからの本質的な方向性なのかの識別は私にとってはあまり簡単ではありません。
このような話しは本題とどのような関連性があるかと言うと、太極の上級者はほとんどわかる動きやいかにも相手を何とかさばこうとする動きは感じないはずです。形がわかるように説明致しますと太極原理の中では、「先求開展、再有収斂」(最初はなるべく、大きい動作を求めて、最終的にはかなり小さい動作でまとめること)という考え方があり、一般的に上級者は動きがかなり小さく、体のパーツが動く幅もかなり狭いはずです。逆に申しますと、太極の上級者は体のどんなに小さな一つのパーツが動いても、ほぼ、宙に浮いているすべてのパーツが虚実によって、相手のいかなる抵抗も瞬時に吸収し、その動作が骨格からではなく内勁からの動作で相手に詰め寄るわけですので、相手はほとんどこちらの動きを感じずにして、体が自然に動いてしまい、重心が崩れるようになります。もちろん、このような内勁も基本的に沢山の大きい幅の正しい動き、幅が広くても力んだり、動作が止まったしないようにして長く練習を継続していくしかありません。私は現在でも多くの成人の方には幅を小さくするようにとお勧めしています。太極門の「先求開展、再有収斂」は基本的に子供の時から太極拳を練習しはじめることが当たり前であり、柔らかい子供の体でしたら、多少無理させてもあまり力まずにして大きい幅の動作がこなせるようになりますが、成人の方が太極を勉強すると一定の継続した正しい訓練ではない限り、太極勁への到達は有り得ないです。子供の頃から練習している者は当然、色々と得しますね。
久し振りに子供や青年に伝統太極を教えることに恵まれております。皆さんに少しでも太極の本質的なことへの理解でできるよう、私なり噛み砕いて差し上げたいと考えています。倶楽部の先生は骨盤の模型を購入されたようですが、少しでも太極は人体芸術であることが多年齢層の方々に徐々に理解していただき、特にこのご時世の中で少しでも個々の体力と免疫力の向上を手伝うことは私の誇りです。
皆様、一生懸命にお体を動かして、コロナに打ち勝ちましょう。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
スポンサーサイト