第1767話 自身の理解と誤解
- 2020/06/23
- 15:15

今日の世界の太極は本当に娯楽性がかなり上がりましたね。もちろん、きれいな洋服で太極拳を練習することはかなり嬉しいです。私ならば、個人では太極拳の練習をしなくてもきれいな洋服を着たい気持ちでいっぱいです。まあ、真夏で少し動くと直ちに汗で濡れてしまって、酸性の汗で洋服が徐々に傷んでしまうのならば、私は個人的にこういうところではどうしてもケチってしまいます。昔の考え方では、冬の洋服な一番よい素材をつかって、一番新しいスタイルが望ましいですね。まあ、私の若いころでは人民服や中山福が正装と言った感じでしたので、しかも、国の幹部の中山服ならば、一番上のボタンも閉めなければなりません。あの頃にかなりレベルの高い幹部ならば、扇風機一つ事務所で持てるのですが、田舎では工場の中に普通に40度の気温でしたね。改革開放がはじまりの頃にようやく、普通の労働者も扇風機を所有していました。しかし、かなりの熱風で煽られている一日の後、全身の骨がなんとなく痛かったです。考えてみると、私の今日の五十肩はあの頃の体の扱き使いも原因の一つではないかと最近つくづく思うようになりました。
人間自身の感覚、果たしてどこまで自身の体にどのような影響をもたらすのかは一人に人間として本当にどこまで理解しているのか、人間は自身の体をどのように感じているのだろうかというと、我々の感覚は実はかなり鈍いと言っても過言ではありません。我々は若い頃に夏になると無理して、特に私は夏になると夜のビールは本当に半端ではなくて、時々、食事もほとんどせずにコンビニより夜の数時間に数千円のビールを飲んで、タバコを吸って、あまり疲れも感じませんでしたね。このまま太極拳の練習をすることもしばしありました。人間は体がアルコールでかなり興奮している状態での太極拳の練習、これはどのような効果が出るのかは今になって、私は本当に疑問に感じていますね。今になって、タバコはとっくに切ったのですし、お酒も出来る限り控えていくことを自分自身の為に誓ったわけですので、この状態で一人の人間は自身の体の色々な不調をなんの誤魔化しもない状態であれば、実は色々と自身の弱さが露呈することが最近になってようやくわかりました。
実は、太極勁もどうようです。懸命に練習をして、自身の体のどこどこが今止まっているのか、またはどこどこが自然と動き始めたのかは、人間の体として本当に鈍いわけです。太極勁はまず、自身の体の僅かな瞬時の変化と、一つの動作による全身の連動を徐々に感じることになります。ここで、一人の人間は例えば、太極拳の練習で常に色々な雑念で頭がいっぱい状態であれば、自身の体の動きも感じなくて、また、人間は余分に筋力を鍛えることによって自身は今どのような状態で骨格がどれほどに動いているのかはまったくわからないケースが多いですね。
太極修練は、毎日の無味乾燥な練習、もしかして石の上に万日のような訓練も必要かもしれません。太極は少しでも間違った訓練をすれば、一万日を練習しても何の効果も得られないままで終了するケースはほとんどですね。
太極の練習でよい師匠との出会いも大切ですが、しかし、師匠も人間で急にこの世を去ることもあります。私の周りには本当にあまり長生きしない人が本当に増えましたね。私にとって、一人の親友の旅立ちは私へのこれ以上にない圧力は常に来ます。私はあとどのくらい残っているのでしょうかと、そして、私が急にいなくなったら、残されている研究会や会員、弟子の皆に誰が太極の感覚を教えるのだろうかと、こう思うと自身の健康管理に力を入れるのも当たり前ですね。
人間は確かに他の動物よいもかなり長生きできるもんですが、逆に、人間は色々と体の進化によって、自身の体の色々な感覚は確かに鈍くなる一方ですね。
太極はこのような鈍くなった感覚を徐々に修正するものです。共に、頑張りましょう。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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