第1773話 行拳走架
- 2020/06/29
- 14:22

この言葉はいかに、昔の太極拳は一つの哲学性の強い太極拳を一つの個体として練習すべきかがわかりますね。面白い話に私が太極拳用法よりも太極拳慢架をどれほどに正確に練習し内勁にたどり着くことが大切かを語ると必ず、一部の制定関係の方もご自分の倶楽部も太極拳套路を懸命に練習しているとか、時折、わざわざ私に連絡をくださることもあります。まあ、我々は先生(沈 剛)の考えと同じです。套路が大切です。我々は戦う伝統太極拳が嫌いですとか、私はいつものようにどう答えればよいかが分からなくなりますね。折角、私が太極拳の練習が大切だということをご好意で賛同している方に何かのいちゃ文句をつけても相手が傷付きますが、逆に完全にこの発言を無理して賛同しても間違った考えを助長してしまうのですね。なんとなく、完全に無視するわけにもいけないですし、かと言って、私は基本的に制定太極拳が太極内勁にたどり着くことがないと確信しています。
一般的に、一言の「行拳走架」はどのくらいの注意点が必要だろうかと、または、太極の原点として、我々は太極を学ぶ人間にできるだけ楽しみを感じていただいて、これは当然、何かのきれいな太極拳服を着る楽しみとまったく異なり、一人の人間としての心身の楽しみの為には、学ぶ方にいかなるストレスにも触れないように徐々に自分自身の体を変えていくことへの工夫は、太極を教える人間としては不可欠であることが自分自身が太極を教えてから常々に感じております。
現在の呉式太極拳掌門である馬海龍氏は太極を教えることは非常にハードな仕事であると公の場で何度も話していましたね。このような話しを聴けば聴くほど、私は先代の二人の偉大さをあらためて感じます。呉英華先生は体育館で卓球のテーブルを4セット合わせてその上でより多くの方が一緒に学べるように教えていましたね。もちろん、学びに来る方々はただの初心者ではなく、呉英華先生の学生の人達が経営している教室で既にある程度太極を知っていて、更にもっと正確に慢架を練習していきたい方々の集まりになります。知人の紹介があれば、あれほどの巨匠なのに、家の中で丁寧に教えていましたね。非常に信じられないことですが、呉英華、馬岳梁先生の家にいけば、普通にお茶が出ますね。私は最初に何故お茶まで出すのかと師匠に何度も聴いたことがありますが、先代の二人はいつも笑って、何も答えませんでしたね。今になって、私はようやく、自分自身で答えを出すことができました。ストレスを感じない状態で太極を学んでくださいとのことですね。
行拳走架は基本的に人間が太極の練習の際に、機能的な動きと内面的な動きを総括して言っているだけの話です。行拳、人間の機能的なこと。走架、人間の骨格の自由と骨格のみの動作を現しています。行拳の目的はいつか走架が自然にできることになります。
考えてみてください。一人の人間がほとんど筋肉に依頼しないで、なんとか骨だけで動いていることは、骨の代わりにどれほどの凄い内勁が必要でしょうか。私なんかこのような凄い太極までの距離はまだかなりあります。ですので、私にでも挑戦したい方々はおやめください。私なんかかなり弱いですよ。私は一定レベルの正確な呉式太極拳慢架を練習しているつもりですが、40年を超えても結局は骨格だけの動きにまだ到達していません。もちろん、私は知っていますが、太極の練習で本当の意味で走架レベルまで達していないと、本当の強さが身についたとは言えません。ですので、私はまだ本当に弱い太極修練者に過ぎません。
昨今の中国の太極門では、「行拳走架如滑西瓜皮」という表現が流行っています。その意味は、太極拳の練習がまるで西瓜の皮でも踏んで、適当に動いているだけとのことになりますが、さすがに中国人ってかなり複雑な例えを普通にしていると思っても、私は30年前だとごく常識的にこのような表現を使っていましたね。
中国語の表現では、西瓜の皮を踏むと転ぶとのイメージが強いです。太極拳の練習が西瓜の皮を踏んだと言われればそれこそ、虚実も中定もなく、断点だらけですね。
もちろん、このような太極というのは誰も簡単にやってしまいますね。ちょうどこのブログを書いている際に学生の一人と先天についてメールを返信していました。学生の一人は自分自身は覚えの悪い者だと言っていましたが、私からすると人間の動作の間違いは常に先天の現れないです。これらをなんとか無理なく解決できれば、我々ははじめて、行拳から走架へと変わることができます。
行拳は先天、走架は後天と、このように説明すれば、ブログの読者は少しはわかりやすくなりますね。どうやって、行拳から走架へと訓練すべきかは教室で教えています。ともに、練習しましょう。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
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伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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