第1786話 一つの骨格を自由にさせることは
- 2020/07/12
- 08:20

私が幼い頃から公園の色々な先生や巨匠の皆が公園で僅かな練習をした後に、丹田気とか発勁とかでいつも賑やかに歓談していましたね。当時の中国の公園は現在の日本の公民館のように色々な文化が入り混ざっていました。中国将棋や囲碁、色々なカードのゲーム、もちろん、色々なタイプの武術の練習も過熱でした。何故か太極拳を練習する人はあまり練習しないのですが、他の武術を練習する人は真夏も真冬もかなり長い時間をかけて懸命に練習していました。まあ、太極拳を練習する年齢層はかなり高いのですが、これは今日も変わっていません。太極門の中では青年や中年の弟子が大勢いますが、民間の人間では大体、高齢者が太極拳を練習するようになりますね。一般的に、太極拳を練習しはじめるのは定年退職になった途端の人がかなり多かったですが、今日ではもっと太極拳を練習する人が少なくなりました。他の娯楽が沢山あって、はっきり言って、中国では太極拳を練習する人の平均寿命は普通に人間とほとんど変わりませんので、説得力のない養生は今日のように資本主義が高度に発展した中国ならば、誰も信じなくなりますね。はっきり言って、今日の中国の公園太極拳は本当に減りました。
私の少年時代、公園太極拳や他の内家拳を練習している者は体の一部が動けるとかで自慢していましたね。特に形意拳の人は肩甲骨が上下に動くとかで結構自慢にしていましたね。改革開放後は私が聞いたこともない武術や気功練習の人がかなり増えたこともあって、1980年代のでは毎日のように公園で沢山の人が集まるようになりました。自慢話も多いですが、練習も太極拳以外はけっこう熱心でしたね。
一般的に拝見したところ、昔から人間の動けない骨格を動かすにはあまり簡単なことではありません。人間の骨格は直立して歩行するリスクを背負ってからは、真っ直ぐに立つことで多くの骨格が石灰化になると世界の西洋医学も同様に解釈しています。当たり前ですね。骨格の縦方向の支えがなければ、人間は基本的に立てません。
毎日のように歩行していて、一般人が動けない色々な骨格をかなり自由に動くことは、骨格同士の支えの替わりに内勁で骨格と自身の重さを支えていることが、呉式太極拳が申す開胯の秘密です。だから、一言開胯だと言っても私は数十年も練習をして、やっとなんとかなったわけです。医学的に動けない骨格が動けるようになり、しかも、内勁が自由になった骨格を自然に支えていることは今日の私もまだまだ無理ですね。
今日では、ネットが高度に発達しており、ネット情の理論化や太極の内勁を適当に思う人間は本当に増えました。これは、色々な原因が考えられますね。
武侠小説、金庸小説はいつものように凄い技を秘訣が得た結果になります。よって、中国国内でも何かの武術の秘訣をかなり高い値段で探し求めている人がいます。呉式太極拳にも秘訣があります。私は会員の皆様に正直に申し上げています。もちろん、達人になった人は一人もいません。
秘訣を差し上げても時間をかけて練習しない限り、体の凄い状態である内勁は決して身に付くことがありません。
映画は色々と独特な効果を得る為に、色々な見えない道具で人間の凄い動きを作り出していますね。無理して映画の効果を真似しようとする人がいるようですが、当然、結果がでません。1980年代も映画少林寺の早回しのかなり速い動きを真似する為に凄い筋トレをしましたが、映画の早回しは一般の人間としてはほぼ不可能だし、筋トレをすればするほどに人間の動きは遅くなりますね。
武術の理論は、今日のネットでは沢山存在しています。私は自分のブログの文章の部分的なところをコピペして、ネットの放り込んだところ、私の文書のままの他所様のページを見つけたこともあります。パックリですね。でも、私はなんの行動も起こさなかったです。私の文書を引用しても理解できるとは限りませんし、練習をしなければ、かなりの修行をしなければ、太極内勁なんかあり得ないです。
力まかせの一発を太極内勁だと解釈する考え方は偽物です。
ご注意ください。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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