第1796話 腰胯による化勁
- 2020/07/22
- 11:02

昨日はなんと、ブログを書いている際に急にひどく眠くなり、書き終えた途端に間違って削除してしまう始末でした。ブログは限られている時間で電車の中で携帯で書いていましたね。私は本当に携帯で長い文章を素早く書ける人に頭を下げますね。あんなに小さい機械で字も小さくて、指が太い私は携帯での誤字脱字はどうしても避けられない程に苦手ですね。
かと言って、私は基本的にノートブックで電車の中で作業をしたりはしません。コロナのおかげさまで人々はやっと電車の中で少しでも分けて座るようになりましたが、いつもだと私は個人的に人にべったりとくっ付いて座るのが嫌いですね。電車の中で両足を広げて、人にぶつかったままで座る人。ノートブックを開いて、その肘が人様にぶつかっったまま座る人(俺は仕事をやっているかた仕様が無い態度)。眠くなって、頭を人の方に何度も叩き付けて寝る人の神経は本当にわかりません。まあ、どこかの巨匠に言わせれば、あなたが電車が嫌いならば、自家用車で通勤しなさいと、世の中の一部の上流階級は庶民の生活なんかはわからないと思いますね。
本日は昨日のレッスンを復習いたします。
一部の教室では推手練習を細心の注意を払って復活しておりますので、長い間に推手練習ができなかった会員の皆様は待ちに待ったという感じでしたね。しかし、本当に不思議なことですが、人間ってしばらく盘手を行わないと何故か手の感覚がおかしくなりますね。当然、プロの私からすると、毎日のように慢架の練習の中で腰胯の虚実の練習をしていれば何も問題がないですが、しかし、一言腰胯の虚実と言っても我々は実際に仙腸関節と骨盤の分離ができない限りでは中々実感できるものではありません。
当然、会員に皆様の動きを拝見していると骨盤の止めるべきところは大分止めていますし、動くべき腰椎はしっかりと動いていることは確認していますね。これが昨日に感じたこの7年間の実績です。
人間は自身の内面状態を少しでも変えることは本当に至難の技だと感じました。これは、私の人生の中で練習してきた太極そのものだとも感じました。
結果を申しますと、我々は骨格で自身の体重を支えていたら、その骨格はいつかは壊れますね。私達の体の内圧や内勁によって、骨格が支えられることが太極の理想です。私は生涯、これを目標にしています。もちろん、今日では多くの会員様にも同様のこれに至る練習を提供しています。会員の皆様は徐々に太極の難しさと楽しさが理解できるようになってきましたね。
このように私はネットで色々と喋っておりますが、別に盗まれる恐れは何もありません。太極は生涯をかけて継続しても最終的んは結果に辿り着くかどうかはかなり微妙です。
結果から申しますと、一箇所の骨格が内勁によって支えられる状態にならないと、この一箇所の虚実ができたとは言えませんね。俺はもう套路を覚えたとか、これでは大会でメダルが取れるのだとか、誰について行けば世界大会に行けるのかとか、こう考えている方は実際に太極の恩恵を受け入れていないと感じています。
なんとか、内圧と内勁で自身の骨格を支えられるようになれば、人間の体はかなり楽しくなります。
世の中の一部の理論家はネット上だけの達人ですね。昨今では、世界的に太極とまったく関係ない理論家が太極のような身体操作ほうを言及されています。1週間前に陳式太極拳のトップの先生との会談では先方の先生は陳式の考えが色々な方面で盗まれると恐れていました。私は逆に先方の先生に、盗めない太極勁まで練習しておけばよいではないかと勧めておきました。
呉式太極拳の考えですが、自身の骨格動詞で体重を支えなければ、私達の体ははじめて一つの虚実と言えます。これが太極の専門用語で申している「固有分明」であります。
共に、頑張って参りましょう。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
スポンサーサイト