第1798話 武林2
- 2020/07/24
- 12:31

連載となるとなんとなく気持ちが緩むですね。ずっとかけるから、明日もまたかけるから、毎日のように太極の専門用語を説明しなくてもよいからとか、おっとっと、いきなり愚痴を溢しても何もはじまらないですね。人間ってひどいですよね。いつも自己中心で楽な形で生きていく気持ちはほんとうに強いですね。まあ、この頃は社会全体にストレスに満ちているので、難しい太極拳の理論よりも少し「武林」の話しとか、「太極往事」などを書いたほうが読む人が楽とのことも考慮しなければなりませんね。
それはそうでしょう。この頃では毎日のように感染者が増えて、国やマスコミはただ国民の不安を煽るばっかりです。しかも、日本国は感染者がかなり少ない頃から緊急事態宣言を出しておいて、今日になってかなりの感染者が出たところではもう緊急事態宣言を中々出さない事態です。検査者数が急に増えたと言っていますが、世界先進国なのに、何故最初から検査が完備されていないのか、国は本当にやる気があるかどうか、これらを考えると誰も頭が痛くなりますね。これは元々政治家の仕事です。凡人の私は基本的にできない仕事ですね。
この時点で武林を書くことは当然、私が住んでいる日本国の現在のいわゆる伝統武術の状態が悪いからですね。はっきり申すと、日本国の現在の伝統武術の世界は日本独特な政界にかなり似ている体勢になっています。日本の現状はおそらく、中国のどの時代とも異なるものです。これは当然といったら当然ですね。日本は戦後、中国とまったく異なる道をたどってきたわけですので、社会のすべての分野において中国とまったく異なる道を歩むことになります。
日本国には元々、日本武道や古武術などが元々存在していて、国柄によって、日本国は武術だけではなく、色々な分野で分裂がかなり激しいことは、私が来日した頃から感じました。これは、日本国が長い歴史の中で中国よりも以外に自由があったことから来ています。
昔はどうだったのか私もよくわかりませんが、今日の日本では誰かの武道の師匠に慕ってしばらく練習して、最後にしっかりと挨拶をして、独立する意思を伝えていれば、学ぶ人間は簡単に武道を教えられるようになりますね。しかも、独立した人間は何を教えても自由ですね。日本国は勤務の選択の自由があります。法律に従うべき分野では免許があれば働けますが、免許のない分野は完全に自由です。独立した日本武道の教室では普通に中国武術を取り入れるとか、弟子と師匠は異なる中国武術を取り入れるとか、日本国は基本的な人権自由ははっきりと守られています。ですので、何をやってもいいです。中国料理に中にフレンチが出て来ても、和食に洋食が現れてもまったく驚きません。一部の調理師はレストランを無国籍料理にしていますね。ならば、何が出てもおかしくありません。
一方、中国も同様です。近代中国はこのような武術の自由は改革開放からはじまりました。以前にもは書かせていただいたように私達は改革開放後の一晩で沢山の気功大師が生まれましたね。もちろん、公園の太極拳教室も一気に増えました。どれも大師級です。凄いですよ。外国語大学の日本語学科の学生に高いアルバイト代を払って、中国に武術を学びにきた日本人の方々に翻訳付きで武術を教えていましたね。私は教えるとしても師匠の家に尋ねてくる外国人の方々を教えていました。もちろん、師匠の考えもあって、海外のお客様ですので、公園などで教えてはいけません。まあ、当時では本当に多くの外国人が中国に来て武術を学んでいましたね。日本人の方は本当に多かったです。私は師匠の馬岳梁に公園で誰々武術がまったくわかっていない人が日本人に間違ったものを教えているとなんども告げていましたが、師匠は人の自由を奪わないようにしなさいと、今から考えてみると馬岳梁師は本当に日本人の考えに近いですね。今日の私はきっとこのようにします。
中国のいつの時代においても異なる形の武林が存在していますが、日本も時期によって武林は存在すると感じております。時代の政治、人々の生活と実際の社会の構造の変遷によって、武林の形も徐々にかわりますね。
私は自分の門下によく訪ねているのは、皆は何故武術を練習するのか、または、何故、健康維持したいと考えているのかと、もちろん、答えはバラバラです。
このように、武林は基本的に一人ひとりの人間で構築されています。一人ひとりが責任をもて、武術を練習することと、人との付き合いをしっかると整理してゆかなければなりません。
例えば、武術家が悪人であれば、その周りは大変ですね。そして、その武術家はいつ、街で弱者に無力を向けるかわからないですね。
武術家ならば、弱い人が殴ってきても逃げるか絶対に一発を返さないことをお勧めいたします。武術家の一発は人を殺すことも簡単です。私はもし弱い方に攻められたら、すぐに110番に電話します。
民間の弱い方のほとんど実力がかわらない武術家はもはや論外ですが…
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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