第1800話 武林4
- 2020/07/26
- 08:23

色々と日本から中国へと、武林は本当に大昔から近代に至るまで、それぞれの時代にしかない武林が存在していましたね。しかし、これはもう仕方がない話しですね。改革開放の最初の頃に中国は本当にありとあらゆる手段を使って諸外国にアピールしていました。それはそうです。人民中国がはじまってからは中国という世界で最も多い人口を誇る国、広大な領地を持つ国は一度も世界にオープンしませんでしたね。ですので、ありとあらゆる分野で海外へ必死にアピールすることは当たり前です。先般に話していた武術がまったく理解できていない人が外国語大学の学生にアルバイト代を払ってでも、懸命に通訳を通して海外の人間にいわゆる中国武術を教えれば、お金が入ってきますね。あの頃は、中国はやっと普通に自由の商売ができるようになりましたね。誰かが紹介すれば、または海外の人間が各公園で面白いと思われる武術の人に声をかければ、非常に簡単に武術の教学は成立しました。当時、色々な公園の教室で急に外国人の生徒さんが増えましたね。話しを伺うと最初は留学生、その後は留学生や領事館関係の人々が色々と海外の武術好きな人を紹介して、当時は上海で武術を学ぶ者は本当に増えましたね。もちろん、ほとんどの外国人は中国武術について何もわかっていません。これは今日も一緒です。味噌も糞も一緒にする人は本当に多かったです。もちろん、今日になって、少しは理解できるようになった外国の方は増えて参りましたね。
日本には、1972年という年に中国の制定太極拳が来日しています。日本国では、非正式な調査ではありますが、人口の10年に一人は制定太極拳の24式太極拳を経験したことがあると言われています。集中して何とか覚えて、長年練習していなくても今でも24式太極拳をなんとか形が覚えていますね。まったく太極拳と関係ない分野での知り合いですが、最近になって私が太極拳を教えはじめたと聴いてはなんと、私もまったく知らないことですが、知り合いはなんと流暢に24式太極拳を私に見せて来れましたね。私からすると、24式太極拳はかなり簡単な動きで構築されているものです。覚えようとするならば、私もかなり簡単ですが、自分が練習しているものとかなり異なるので、意図的に練習していないだけです。
面白いことに、日本では多くの格闘家が今も24式太極拳を練習しているようです。それには色々な理由があると思いますね。
当家の慢架ならば、どんなにゆっくりと練習しても30分はかかります。私達の練習では、厳しい動作はあまり緩めないですが、力は基本的に入らないで練習すべきですので、このようなどの武術ともあまり関係ない練習方は、即効性の結果を求めている近代の格闘家は本来の時間をかけて、人間の全てのバランスを整える訓練に向けることはあり得ないでしょう。どうしても形だけでも太極拳を練習していることを主張するのであれば、当然のようになるべく簡単なものになります。日本国では、太極の108式慢架を本腰を入れて練習している教室はいくつもありません。多いのは、24式、30式、37式や42式、45式や47式など、どんなに長い太極拳でもゆっくり体を動くことは近代人には合わないですし、結果しか求めない人は太極を実際に必要としません。筋トレをすれば、基本的に人に勝てるわけですね。日本人ならば、基本的にアジア文化をどこからで知るわけです。日本では更に、武侠小説もかなり翻訳されてきたわけですので、形だけでも維持だけでも、太極拳を練習しているとなれば、商売の競争にもなるわけですね。
一方、欧米で極真を練習している者共は、日本人よりもかなり体格がよいわけですので、今日になると日本人の格闘家も実はかなりばかにされていますね。俺らの方がパワーがあって、速度も負けないし、体格も東洋人よりよいわけです。極真は欧米が最強説は今日の世界の色々な国でささやかれています。当然、西洋の極真の方々は、太極拳は詐欺だと言うのも仕方がないと思います。もちろん、一般的に太極拳と名乗っているところは、制定も伝統も問わず、ほぼ同じような体操のような動作であることは明らかです。太極の本当の上級者の動作は更に不明瞭であって、はっきりした動作もないくらいです。もちろん、まったく格闘の気配がないので、私のような太極は詐欺と言われても仕方がないですね。思い起こすと6年ほど前に私は世界にはじめて師匠馬岳梁の秘伝推手動画を公にしたところ、カナダの極真有段者はこれは詐欺だと書き込んできました。もちろん、欧米人だから遠慮はしないですので、私は彼の本音をかなり重く受け止めました。何故かと言うと、カナダの彼の発言は彼の責任もあって、私の流派の責任もあって、私個人の責任。師匠馬岳梁の責任。日本国で海外に極真を教えた方々の責任などは考えられますね。
これこそ、世界の色々なサイズも違って、民族個性も異なり、身体能力も色々と異なる国々で展開してきた色々な武林と武林のぶつかりであります。
色々な民族は、色々と形が異なる武術を練習しています。私は中国にいた頃に呉式太極拳については色々な地域でこんなに異なる形の小さい流派が存在するとは思いませんでした。先代二人の実力は1989年代において、中国武術のトップである呼び声はかなり高かったです。先代の二人が去った途端に、呉式太極拳は何故か東西南北に分かれ、巨匠や一代宗師が急に増えましたね。今日になると鑑泉社のお膝元である上海にも鑑泉社と関係ない巨匠が何人も出揃っています。俺は強いぞ、俺の太極拳を練習すれば健康に長寿になるぞと、堂々と宣伝しています。
鑑泉社は鑑泉社で、本格的に本流のつもりで構えていますね。我々は本流です。我々は誰にも負けませんと自信満々です。
しかし、昔の太極拳家のように毎日のように懸命に練習している人だけはほとんどいなくなりました。太極は毎日のように定時定量の継続でなければ、決して結果がでないわけです。
太極は、武林から離れて、なんとか毎日のように続けるべきものです。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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