第1802話 武林6
- 2020/07/28
- 14:16

昨日は武林のゴミ的な存在に触れて、なんとか無事に一日過ごしました。もしかしてまた誰かが教室に突っ込んでくるのかなと心配はしていますが、流石に法治国家で三日にいっぺん道場破りのような社会ではないことが本当に助かりました。東京人も上海人も互いによそよそしくしていて、互いに一定の距離を保つのはかなり当たり前であって、これこそ東洋の大都会の美であり、自身のプライバシーが持てることはこれいしょうにない素晴らしいことです。
昔の武林もそうです。各家が秘伝があって、それぞれは祖先が得た知識をこのまま継承されていく日々が武林の各家の楽しみでした。しかし、今日になると中国も日本も戦後は社会構造が大分変化しましたね。戦後は中国と言う国で社会制度こそ一つだとは言われているものの、実際の社会の構造は何とも変わっています。大戦直後、中国はまず三年間の激しい内戦が繰り広げられていて、内戦が終了すると実際に政権も変わり、社会制度も変わりました。戦後の中国はなんども動乱があって、かなり激しい事件もなんどかありましたが、それも今日の中国が色々な方面による改革が進んできた結果であります。もちろん、大躍進などのかなり有名な事件は今日になると一部の日本人学者が研究するほどに注目されはじめていますが、その他の現在の中国政府にすればあまり名誉ではないことは当然、海外の皆様にまだ知られていない
ことも少なくありません。
そして、同じテーマの武林の中にも言及致しましたように、中国は1980年代の初頭には改革開放がはじまり、反政府や半共産、国家転覆ではない限り、国民はかなりの自由が持てるようになりました。もちろん、世の中は一人がひたすらもう一人の面子を外しては外しては馬鹿にすると反発を受けるのも仕方がないですね。中国国内では米国発のyou tubeやfacebookは使えないことになっています。まあ、これはただ、中国人って誰よりも面子を大切にしているからですね。日本語にもまったく同じ面子という言葉があり、その意味合いはほとんど一緒ですが、日本人は金銭が絡んでいれば、仕事が絡んでいれば、面子は自然と捨てられるものになりますが、中国ならばいかなる利害関係においても面子にかかわることならば、大喧嘩しても殴り合いを持しても、人々はどうしても争ってしまうのですね。昔、中国人の多くは世界のネットで国の政策問題などで議論や呼びかけをしましたが、面子の話しでしので、中国は複数の海外のページを排除しています。うまく見られないようにしていますね。
他民族で構築されている中国ですので、それぞれの面子を全方位で保つことは至難の技ですね。
逆に、日本国の法律はかなりゆるくて、おそらく一つの人間を殺害しても反省していれば、確実に死刑にならないですね。国民の生活も基本的に自由があって、今日では政府の見解で法律を解釈しようとするケースはコロナウィルスによって起きていますが、それでも、このような解釈は現場にどのように伝わっているからは本当に不透明です。そもそも、日本国では国民の私生活が最大限に保護されており、どうしても人々のわがままで損得が激しいならば、国は法律を修正するしかありませんね。法の解釈が間違っていれば、国も訴えられますね。
日本国の職務質問は基本的に令状がない限り任意になっています。職質されても基本的に答えない自由もあります。私は逆に、警察の酷い法律違反に対して110番通報したこともあります。
このように、社会体制が完全に違う隣国では、武林の形も違います。
私も日本国の独特な武林を体験してからは、日本国の本質的な政権の形もなんとなく理解できるようになりました。まあ、日本国は基本的な法律を理解していれば、かなり住みやすいくにであることは本当に痛感しています。
この国の良さを知れば、帰化する気持ちも益々高まりますね。
しかし、住みやすい国の武林は何故かあまり面白くないですね。7年ほど前からスタートした研究会ですが、日本国の武林の中では色々と理不尽なこともあって、私はやっと最近になってなんとか日本国の武林に慣れてきたと感じはじめています。
日本国の武林は何故複雑だろうかといわれると、私もこの数年間に随分と考え込んで参りましたが、いろいろと思案があってもこれでしっかりした分析になるかどうかはまだまだ不明です。日本武林の分析がもっと進めば、太極拳教室の経営ももっと楽になるはずですね。
日本国は現在、すくなくとも、中国本土、台湾、香港、東南アジアの色々な国から中国武術が輸入されています。もちろん、法律でなにかの規制がないので、基本的に誰も中国武術を教えることが出来ます。私は大学の時に、学校の隣に教会があって、教会の青年は私が中国の留学生だと聴いて、いきなり声もかけずにハイキック一発を出したのですね。いきなりでしたので私はかろうじて交わしましたが、彼は、なにごともなかったかのようにこう言った、「俺、極真」。俺はもしかして、彼のその当時の唯一の日本語のことば。「karate」は、空手を練習しているいかなる国籍の人もわかりますね。その彼、今は東京で極真道場を開いていると伺っています。もちろん、法律的にはなんの支障もありません。もちろん、彼は中国で太極拳を教えるとか、長拳を教えるとかになると。意外に各方面から色々と圧力がくると思いますね。自由な国である日本、職務も自由、法律で禁じられていない職務はすべて自由。趣味はいかなる国においても基本的に自由、法律ではやってはならないものははっきりとしています。日本だと麻薬や覚せい剤は禁止です。しかし、日本国で武術や気功がまったくわかっていない人間で実際に麻薬のような、覚醒剤のような体に有害の訓練法を教えても、基本的に自由です。日本国の法廷は、事実認否をしても必ずこの通りの結論が出るとは限りません。一番普通に考えられるのは責任相殺ですね。ですので、麻薬や覚せい剤のような武術を教える人間が万が一訴えられても、法廷はまず太極拳の専門家よりも医者の見解を求めると思います。もちろん、日本国の裁判官は誰が太極拳の専門家であることもわかっていないですね。端末をたたいて、日本語の結果から大団体や大連盟に意見を求めることがあっても、民間の私のような人間には意見を求めることは滅多にしかありません。
結果的に、日本国では中国武術で明らかな怪我などは別にして、いかに間違っている武術を教えたことによる裁判がおきても責任相殺で終えると思います。まあ、教えた人間は悪いかもしれませんが、選んだあなたの自分も責任があります。国は国民に十分な自由を与えました。これを漬け込む偽物武術の罪は深いですが、皆様も本当に中国武術が好きでしたら、いい武術教室、正しいことを教えている太極拳教室を自由に選んでください。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
スポンサーサイト