第1805話 武林9
- 2020/07/31
- 14:01

中国の太極門や武術の門派では基本的に「尊師重道」を一番大切にしています。しかし、中には一部の人間は何故か本当に横柄で、自分は高い学歴を持っているから、自分は戦えば強いからでいつも人を軽蔑し、自己中心的な商売や日常を過ごしていますね。
昨日も、拝師関係もはっきりとわからない伝統呉式太極拳だと名乗る人間が開催する講座の招待状がネットで届いています。あの、私に何を教えるつもりですかと、そして、例の者の拝師関係が確かならば、それにしても呉式太極拳の門派の中では私の代が上です。もちろん、本流の嫡伝で呉英華先生は自分の孫同然に呉式太極拳のすべてを伝授してくださったのですが、私は逆に何故、自分の下の代、しかも本流ではない人間、更に拝師関係がしっかりしていない人間より講座の招待を受けなければならないのでしょうかと、これは太極門の本系であれば、通常は自分の師伯や師叔に対する不敬であり、破門になることも考えられます。このように適当に呉式太極拳を名乗る拝師関係がはっきりとわからない人間は、太極門の厳しさがまったくわからないでしょう。
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昨今、実家の整理や自分の仕事、理不尽な人間関係でもまた疲れが溜まり、コロナの悪影響、そして、とどのつまりにこのように呉式太極拳鑑泉社の代表者の一人である私に呉式太極拳を教えようとする人間が現れましたね。昨日のよるに弟子の一人と話したら、これこそ、今日の日本国の武林の現状ではないかと言われましたね。流石に、寝不足です。
太極は道から来ています。太極を練習するものはまず流派の師を尊敬し、師匠の兄弟弟子や自分よりも世代が上の人のことを一般的に「師伯」、「師叔」、または、「老師」と呼ぶべきです。
自分の師匠は当然、「師父」ですね。文化革命の頃では「師父」という表現もあまり望ましくなかったので、先代の二人の見解では、当時の拝師弟子のいずれも先代の二人の二人は「老師」、「師母」と読んでいました。私はというと拝師しても幼い頃で呼び続けていた「お爺ちゃん、おばあちゃん」を読んでいました。本当はいけませんね。でも、幼い頃に慣れた呼び方であって、お二人もこれを認めていましたね。
もちろん、私は自分よりも年寄りのお弟子さんを教えることなどの不道徳なことはしませんでした。当時、まだ呉式太極拳の三代目弟子も存在していましたし、四代弟子の数はかなりいましたね。私は先代の意向で19歳から師匠呉英華先生の教室をしばらく代行するようになりましたが、当時の公園ではかなり乱れていて、日曜日では他の同門弟子もいつも呉英華先生の教室に訪れては師匠を守るように一緒に練習していました。私が教室を受けた日はちょうど日曜日だったので、他の著名弟子は青年になったばっかりの私も守る為に教室に練習しに来ました。私は道の基本を思い出して、確認の為に公衆電話で師匠に電話して確認までしましたね。同門、しかも大先輩が教室に来たので、私は普通に教えていいかどうかと、まあ、師匠はゴーサインを出しましたが、私は何かの見解をした後に必ず同門の先輩に、このように教えてもよいかと本当に確認しながら練習を続けていましたね。
呉式太極拳では、同門(同じ師匠)にどうしても教える場合は基本的に師匠の許可を伺います。拝師師匠が目の前にいる時は、同門と推手練習をする際も師匠に一言を断る暗黙のルールがあります。
自分の講座を師伯を招待して、どうぞ、お金を払ってくれとような無礼な行動は本当に破門沙汰になりますね。
昨日の無礼者は公に呉式太極拳の弟子だと名乗っていますが、本当に太極拳宗師張三豊の位牌と呉式太極拳の祖先の遺影の前で「三跪九叩」して、入門後の流派のルールの宣言はしたのでしょうかと、もしも、嘘の拝師関係の場合は、私は呉式太極拳全国競技会会長の方に直訴することになります。
当然、太極門の中で拝師弟子の確認ができれば、上の世代に呉式太極拳を教えることは、「尊師重道」を違反しているので、基本的に、少なくとも厳重警告になります。
本当に困った話しですが、陳式太極拳の家元の先生の拝師証明がコピーされて、偽物の証明書が中国国内では出回っていたようです。太極もんは本当に偽物の拝師関係がかなり多いですね。
まあ、弟子を教えるのは師匠です。師匠が弟子に自分よりも世代が上の者を尊敬することを教えていない師匠の責任はもっと大きいです。
かなり寝不足ですので、久しぶりに昼寝をします。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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