第181話 一分と十分
- 2016/02/24
- 00:54

呉式太極拳掌門の馬海龍氏、私の伯父が三人の新弟子を迎えることになりました。ここで伯父の一番有名な言葉を読者の皆様に分かち合って参りたいと存じます。
伯父馬海龍は言うもこう言っています。「人に一分を教えるなら、自分自身が十分がなければいけません。」まあ、ここでの一分と十分は日本の一と十として理解すればよいです。
今日の呉式太極拳家元の先生のほとんどは、一部分の秘伝中の秘伝を除き一般的には公に教えていますね。当研究会を一例としてあげさせていただきますと、現在のところでは間もなく3年を立とうとしていますが、一般の会員に教えているのは慢架、快架、推手13式、活歩六式、乾坤剣、七星剣、双剣、九十九式刀、二十四槍、十三槍、もちろん、いろいろな気功も同時に教えています。まあ、この位は序の口ですが・・・
しかし、呉式太極拳は本当にこれよりも9倍位の内容があるかというと、私ははっきりとないと答えたいですね。私がこのくらいの内容の他に残っているものがはっきり申すと、3倍位のものはありますが、秘伝だから隠しておくという意味でもありません。太極拳は一つの基本がしっかりと出来ていなければ、まったく無意味です。せっかちな私が現在の研究会で教えている内容ははっきり申すともう多過ぎる位ですね。
叔父が申す一と十の関係は実は、間違いなく太極勁のことになります。こればっかりは一の努力が一の結果であり、今日の私の研究会のほどんの会員さんはお忙しい中で限られている時間の中で修練を続けていることから、本当に今後は太極勁の上級者が現れても全然おかしくありませんね。私はおそらく、自分自身に接近する若い方が現れた時点で現役を退くと思います。
これは、伯父馬海龍もおそらく同じ考えでしょう。
学生や弟子に絶対的な優勢がなければ、教えることも実際に不可能ですね。これは私が実際に感じている一番の危機です。若い方に負けないように修行をしていくしかないですね。
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