第1819話 以其之道
- 2020/08/14
- 12:56

これは私の同世代の中国人ならばきっと、彼の混乱時代のことを思い出すのですが、我々の激動の時代では何故かこれを目には目、歯に歯として解釈していましたが、元々、本日のテーマは人様と似た行動で人付き合いをうまく見計らうべきだとして、老子があげた名言であります。人付き合いは人様の弱点を知ることから始まります。常に人の弱点を知っておけば、我々は誰でも本当に温厚で人様と穏やかに一つの輪の中で共存できます。実は、太極拳もこの原理を利用して、相手を殺すことや裁くことではなく、相手との共存手段としての武術です。道が考えているのは、相手の体の欠点と常に共存していれば、これほどに強い武術はないことです。太極は実際に、自分自身が相手の体の欠点を知る体づくりであります。そして当然、太極修練者は自身の体の欠点を知らない限り、他人の体の欠点を知るわけもありませんね。
太極は道、太極はこの世のすべてとの融合の為の練習が最も望ましいです。本来ならば、本日のブログはこれだけでも十分ですね。しかし、これだけではどうしても多くの方が理解できないことになりますので、もう少し具体的に説明して参りましょう。
世の中ではよく、太極拳は柔であることを強調する面々がいますが、逆に、太極拳はいかに発勁をすれば人を倒せるかと研究を続けている人々もいます。これはたとえ、中国の今日の六大流派においてもそれぞれの理想としている道筋で歩んでいる気がしますね。でも、ご縁があって、手でも合わせれば、どちらの太極勁が太極原理に近いことくらいは練習している人間であれば、基本的にわかりますね。もちろん、あまりにも高度な勁路ならば、これは何拳法だろうかと伺う者もいます。そして、その時の私の答えはいつも決まっていますね。
「これは、あなたの知らない太極というものです。」と…そもそも、私が推手の時に使っている太極勁のことを何拳法だと聞くこと自体は先に失敬にあたる言葉ですからね。
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しかし、そもそも、私は他派の兄弟が私にこれは何拳法だとの質問を失礼だと感じる自体は、私はその人の本当の弱点がわからないとのことになりますね。もう少し深くいえば、わたくしは自分自身の欠点(心身とも)もまだ知り尽くしていないことになります。このような自分自身の現状ですが、これは私も流石に3〜4年前ではまだ理解できていない気がします。これは本当に情けない話ですね。我々人間は本当にいつになっても幼稚であって、脳が空っぽになる練習をしない限り我々は本当はいつになっても自分自身の欠点を完全に把握できないものだとの学説は、中国古代の道だけではないはずですが、たとえば、キリスト教の観想修道会ではセパラチオを行うほどに常に自分自身と向き合いなさいとの訓示もあるくらいに無と空を要求しています。ただ、人間は本当の意味で無になって、自分自身の欠点が本当にこのまま露呈するだけの状態は人間の誰にとっても、どの国民にとっても中々難しいですね。他人の欠点で興奮するくらいの私はまだまだ、修行が全然足りていないですね。
先代馬岳梁先生と推手をした人間の一部は、彼が演出しているのは太極という拳法ではなく、太極陰陽融合の芸術であると言い表していました。
私も同感です。太極の本当の上級者は人様と手を合わせたところではもはや、戦っていません。相手の欠点がほぼ欠点のない先生の手にかかっていれば、その欠点は自ら露呈して、その方は自分の欠点で倒れるようになります。そして、その時に謙虚な気持ちで学ぶ者であれば、先生は倒れる方を一瞬に自らの内勁で倒れないように助けることさえありますね。これについて私も馬岳梁先生に何度助けられました。当たり前だと感じていますね。先生は私の体の欠点を知り尽くされているからです。もちろん、未熟な私も時々、師匠の実力を試したりして、悪意で師匠を攻めたりもしました。悪意のある攻めだと体の欠点も大きい為、飛んでいく時に馬岳梁先生も助けられないこともかなりありました。肋骨にひびが入ったこともありましたね…
馬岳梁先生曰く、本当の上級者は悪意のある攻めに対しても、相手が自身の欠点で飛ばされる一瞬にこちらの内力の豊かさからくる速さがあれば、倒れないように助けることも不可能ではないようです。
馬岳梁先生が実際に挙げた達人の実名は呉鑑泉です。
太極は常に、一つの理想的な芸術を演出しようとする考え方が昨今の近代社会において、最も必要な概念ではないかと感じております。
共に、練習しましょう。
