第1835話 套路と盘架
- 2020/09/20
- 08:33

中国武術の専用名詞の套路は、伝統武術の中であまり言わないことで知られています。何故かと言うと、昔から一種の武術であれば、その武術には必ずと言ってもよいくらいに名称があります。例えば、当家の太極拳基本拳は慢架108式と言います。または、人によっては長拳とも言っていますね。逆に、先代の二人が本当の体力がない年寄りの為に製作した太極拳は精簡30式と言います。他に剣も名称があります。剣に関しては、一部のごしきを名乗る人間は異なる名前を出しておりますが、今日の中国でもあまり特許という考え方がすべての分野に浸透していなくて、伝統武術の名称も伝統武術と同じように混沌としているのは間違いなく、封建社会のせいです。
前の世紀の50年代からは、中国という国がさらに色々と前例のない動乱に遭遇したことは、今日の中国政府も認めているわけですので、その真っ只中でできたスポーツ太極拳も普通に想像すれば、どれほどの出来はたいがいわかりますね。套路という表現は、あの頃に長拳と南拳、更に太極拳の所謂制定套路という表現ではじめて現れたとも言われています。日本国では、政府が中国の制定武術を正式に選んだこともあって、国民の多くはこれを本物にしています。これはこれでよいではないでしょうかと、国民が選んだものですから…国民が選んだ政党ですから、逆に、日本国では政党が沢山あっても、実際に実力がある党は本当に少ないですね。よって、第一党が制定種目を選べば、制定武術が流行るのも当たり前です。
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愚痴は程々のところでやめておき、伝統太極拳の世界では、何々套路というよりも実は、「架」という表現をよく使われています。老架、新架、慢架、快架…色々な太極拳は「架」で名乗っていますね。
「架」、中国語の中では元々、枠組みや人間や動物の骨格、または一定の基準とする解釈になります。太極の架を練習することは基本的に勢を練習しています。勢の練習を続けるといつかは太極拳の勁という状態にたどり着くことになると確信しています。
これが、「架」と套路の違いです。
太極は古来、「盘架為本 推手為用」という不動の説があります。この中で申している「本」はただの武術としての勢の訓練ではなく、人間の根本という意味も含まれています。もちろん、太極はただの健康法ではありませんし、力で勝負する格闘技とも違います。
「本」は我々が必要としている最も理想的な状態であります。練習すればするほどに、人類のすべての能力が上がるわけです。
「架」を具体的に操るには、推手という戦い方はもはや、今日の中国の中でかなり多い誤解が生じていますね。
私も北海道中国武術倶楽部の教壇になっていますが、私自身も制定種目に対しての評価は中々困難です。私は現在、倶楽部の若者や子供には普通に呉式太極拳を教えています。
私はいつも、架を練習すれば、試合の套路は絶対に簡単になると宣言しています。だって、私達の根本が変えるからですね。実際、多くの選手は呉式太極拳の難しさに触れて、制定太極拳はいかに簡単になったとも話してくれました。もちろん、これは当たり前の話です。
弟子の一人は冗談で私の家にでも寝泊りすると言っていましたが、私はこう答えています。一人の人間の根本を変えるにはご本人の努力しかありません。
多くの方が盘架によって、よりよい心身の根本的な良さが得られるようこれからもお手伝いいたします。一緒に練習しましょう。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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