第1843話 武器套路は嫌いだった
- 2020/09/28
- 13:11

本日も手術後再開したブログの際になるべく短く書くことを心掛けて参りますが、本日はテーマ通りのことを書きます。もちろん、これは本邦初の話しですが、本当に短く書けるかどうかは昨夜から心配してきました。
もちろん、頑張って書くしかありません。
私、幼いころには武器が嫌いでした。実は、幼い頃に丁度かの中国の動乱の真っ最中だったので私は父親が投獄されたことで何度も処刑を見せつけられたことがあります。まあ、ようするに私は悪い人間の子供ですので、処刑を見せられることは一種の戒めでもあるわけですね。当時は、他の悪い人の家族も、地主の奥さんもいつも私と母と一緒でした。
今でも時々、私は眠っている間に幼い頃にみたシーンが現れます。これは多分、一生涯私に付き纏うことになりますね。
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1975年に私は呉家の門を叩いた際に、先代の二人にははっきりと自分は太極拳と推手だけでよいと申し出しました。叔母は代わりに処刑のショックという理由を先生に告げてくれました。
当時の私ですが、カッターで鉛筆を削ることも怖がっていました。そして、余計に緊張してしまい、なんと自分の指を切ってしまったのですが、以降は刃物を持つことも実はかなり恐怖でしたね。鉛筆を削るカッター、ハサミ、料理用の包丁…もちろん、太極拳の剣も刀も槍もかなり恐怖でした。
自分が門を叩いて3年後はかの動乱が終結し、師匠の家でも紹介で何人の学生が現れるようになりまして、私はその時に一般の学生の練習も弟子らの練習も許されていたので、とにかく、師匠のレッスンには沢山出ていましたね。
もちろん、私は只管、慢架だけです。師匠の家の練習は複数で行っていて、その時に運が悪くて実は多くの生徒さんは剣や太極刀の練習をしていましたね。
私は戦々恐々、最初は本当に振り向きたくなりましたね。その時に練習で使っていたのは木刀でしたが、作りがよいので、なんとなく刃のきれいな形が私の恐怖を煽っていました。
呉英華先生は私に気遣いして、二階から竹の剣を持ってきて、これはほぼ子供の遊び道具ですので刃の形はほぼありませんね。私はこれでなんとなく同門が練習しているのを拝見するだけでぎりぎり付き合っていましたね。実はその時、私はまったく学ぶ気持ちはありませんでした。とにかく、私は武器套路はいいんだと自分で決心していましたから、自分の人生では呉式の剣や武器とは絶対に無縁だとずっと思っていましたね。
このように、私はまったく剣を学ぶきもなく、ただ、他の生徒さんが懸命に練習をしているのを只管ぼーとして見ていただけでした。
人間って本当に不思議な生き物ですね。まったく覚える気持ちがなくて、ただ無心に見ているだけで、私は今日ではかなりの大難関と言われている呉式太極拳の一路乾坤と二路七星の剣をなんと普通に覚えていました。他の生徒や弟子が奮闘してでも覚えられなくて、師匠に大分怒られましたが、とある日、師匠が私にやって見たらと言われたので、剣ではなくて、剣の同じくらいの長さの棒でいきなり流暢に師匠に見せていましたね。
後に知った話しですが、先代の二人はこれで私を嫡伝として育つ決心をしたそうです。もちろん、後には先代の二人が私の為に心理学の専門家に頼み、刃物や血に弱い私を大分ケアしてくれたことも記憶に残っています。一般の剣で練習できるようになったのは二十歳の頃でしたね。血を見ても平気になったのは来日して、社会福祉学科専門学校の頃でした。
自分自身の弱さとどう向き合うか、一人の人間の弱さとどう付き合うか、私は意外にも幼い頃から自分の身体で勉強して参りました。
私達の弱さが時折、強さへと変わってくれることは、自分の人生の中で何度も経験してきました。これこそ、四千年前に老子が悟った哲学です。難しい套路も無理して、脳で記憶する意識せずに、体が自然に受け入れる体制ができていれば、誰でももっと早く習得できるはずです。
共に、学んで参りましょう。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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