第1844話 何事にも程があって
- 2020/09/29
- 14:26

太極は流石に古代中国の道から来ることもあって、その色々な考えではどうしても中庸の道に沿って進む運びになります。いわゆる、本日のテーマのように、何事にも程があって、何事にしても結果的にやり過ぎないようにすれば良いわけですが、人間は数百万年で培ってきた身体能力とは、身体の全体のバランスというよりも身体の一部分での咄嗟の反応に過ぎません。
もう少しわかりやすく言えば、人間の身体はいかなる場合でもパーツが同時に動けば良いわけです。もちろん、一部の動きを除きいかに身体の全体が動いているにしても身体のとこかの一部分は基本的に止まっているわけであって、これがいわゆる中定ですね。まあ、この辺は一緒に学ばないと通じないと思います。
太極、これは人間のすべてのパーツの調和によって、我々は人様の一つのパーツの動きや、それぞれのパーツが連動して動いていない欠点と自身の体の調和を衝突させ、人様の大きな欠点もわずかな欠点も捉えることができる練習をしています。その為に我々は自分自身の体が如何にしてもでき限りの調和の為の訓練を1日から1日へ、1年から1年へと続けて参りました。
太極は結果的にすべての武術とまったく関係ない身体操作であることは結果的に太極を長い間に訓練を続け、師匠や自分自身が軌道修正できる能力の元で相対的な調和という目標を追い続けていくしかありません。このような態度で勉強しないと太極の武術としての結果は出ないと思います。世の中の色々な宣伝で、俺は太極と言っている巨匠の動きを拝見していると、太極とまったく無関係のものが多いです。
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太極は中庸と主張して参りましたが、いかなる動作もやり過ぎないようにするのは自身の体の調和の為であって、若くて体が一定の自由度がある方は動作をもっと厳しくしても意外と問題がありません。わかりやすく言えば、中庸にも幅があるとのことです。
もちろん、太極の初心者は体がバラバラに動くことが多いですが、しかし、それ以上に太極と関係ない他派の武術や武道の方が私達の研究会で体験するともっと体の各パーツがバラバラに動いています。すごい人はこちらの動作の真似もまったくできないというか、真似する気がまったくないというか、いかにも他派の武道の型のままにほぼ立っているだけで、我々が足の前後が大分変わってから急に他派武術のように足の前後を変えたりして、とどのつまりに見学の終了時に、先のゆっくり動いていた奴、あれは健康法だろうと、あれは戦っていないだろうと、またはあれはやりたくないので、推手だけ検討するなどの発言を残して去っていくわけです。まあ、色々ですが、とにかく、研究会は今7年目でこのような見学は沢山来られましたね。学ぶ気もなく、最初から舐めている人もいて、腕試しという目的もあったりして、更に私は他所様の太極拳教室と違って、いわゆる太極拳の用法なんかは見学する人どころか、一緒に勉強する方々にもあまり教えないので、私の太極原理が疑われていても仕方がないと思いますね。
手術後のブログ再開はいくつかの注意点を自分なりに整理しました。どうしても長くなってしまう文書はしかがないと思っていますが、ブログは個人の愚痴の場であってはならないことはせめて守っておきたいですね。
よって、私は基本的に世の中に悪い人間はいないと信じたいところです。人間同士の考え方があまりにも差が激しいなら、互いに悪人のように感じてしまう場合もありますね。私は確かに憎い奴は何人かいますよ。多分、その人にすれば、私もかなり憎い人間であることは間違い無いでしょうと。私はたまに若い人の悩みなども聞いたりしておりますが、私はできる限りこのように説明しています。そして、自分自身が理解されなくなる時にいかに冷静になって、相手を一人の人間として付き合うことの難しさこそが人間力だと感じています。
本日は太極の全身の調和を説明してきましたが、このような調和の難しさと大切さを実感した方々が我々の研究会で続けています。
逆に、俺の左腕の一発だけでお前は倒れるだろうと、これを自慢にしている方は太極の感覚なか理解できるわけがありません。その方々は太極の動作の真似はまったくできないと思います。このように一人の人間の体がこれほどに限界にぶつかっていることをなんとも感じていないことは本当に惨めです。
人体のすべてのパーツが、ほぼ死んでいる関節や骨格がその動きの復活から来る虚実によって、同時に動ける感覚は、時間をかけて練習しないとまったく理解できないはずですし、逆に懸命に練習しても、わずかなずれで結果を出せないケースもかなり多いです。
これは私の愚痴ではなく、多くの方への忠告ですね。このような人間の体の状態は数十年の正しい訓練では無いと決して得られない物です。よって、参考にしても無駄です。
現在の私達の研究会の中で、かつての死んだ立ち方を練習されていた方もおりますが、本当にその方々が苦労されています。何故かというと、いっぺんこのような体の不合理な動きに慣れてしまえば、武術がまったく無経験の方よりも太極の全方位による虚実から来る調和への到達も時間がかかってしまうケースもあります。
参考よりも謙虚に学ぶこと、他派武術を参考することよりもご自身の武術や武道を極めていくこと、どうしてもご自分の練習してきた武術の限界を多方向から感じて来るのならば、勇気を持ってその武術の仕組みを疑うことが大切と思います。
私は一度も太極を疑ったことがありません。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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