第185話 太極拳の視線
- 2016/02/27
- 22:56

一言、太極拳と言っても世界では今日、どれほどの流派が立ち上げられているのかは私も正直にわかりません。中国武術は大昔から世界でもっともトーロが多い分野として有名ですが、今日では本当に私達がまったく聞いたことのないトーロもかなり流行っている位ですね。ならば、一つの太極拳に関する理論は必ずしも採択されるとは限りません。
太極拳の視線は大きく分かるなら、伝統派と制定派の二種類ですが、制定の中でも今日では所謂、インストラクターの中でも個性によっては太極拳に対する解釈がけっこう分かれている為、学んでいる人間は実に戸惑いを隠せない状況です。知り合いの制定太極拳を練習している方はご自分が通っている教室の他にもインストラクターの個人レッスンを受けているようです。しかも、話によるとこのような状況は流行っているそうですね。インストラクターの特訓を受けても全国大会でシード権を獲得できるどころか、日本国の全国大会への出場でさえままならないようですね。個人的ではこれはお金の無駄の他になにもならないと思っております。高得点を得る為の手段は人によっても違うし、地域によっても差がかなり激しいです。これは、日本に土着化された中国武術ですね。今日の日本国の最大の連盟は、中国国内で武術の段位を取得している人間の日本国段位取得の申し込みでさえ受け付けていないですが、その理由は個人的に本当に知りたいと思います。例えば、中国で鍼灸の免許を持っていて、日本でもう一度取得することは可能。自動車の免許も同様です。武術に限っての話になりますが、日本国の中国武術は本来の中国制定武術ともほとんど関連性を持ちたくない一部の人間の事項満足にすぎません。しかし、さらに矛盾している話もありますね。何故か中国武術の段位を取得している人間が日本の全国大会で至るところで優勝をしているようですね。本当に何を考えているのか摩訶不思議です。まあ、一応、脱線せずに本日のテーマに戻ります。勿論、一個人で雑草のような太極拳をやっている人間の見解に過ぎませんが…
伝統太極拳の家元では基本的に慢架や行架などの修練では、目が半開きにすることが基本になります。これは、「精神内含」の一つの現れです。太極拳の内勁は可能なら骨の真ん中へ集めることが昔から勧められました。しかし、中国の文化破壊は激しく、昔からの正しいやり方を失ってしまった流派もあり、今日になって伝統が制定とほとんど変わらない流派も存在します。
制定太極拳は基本的に強さと美の表現が基本です。勿論、芸能人のように輝かしい透き通り、遠くへ行き渡る視線なら当然のように高得点が得られます。例え、ご年配の方でも目がきれいな方は制定武術の世界では実に得です。特に太極拳ですね。逆に、威嚇的な視線は長拳に似合います。
体の表現がかなりの高レベルであっても視線が定まっていなければ、よい点数が得られる可能性は低いでしょう。目が微笑んで視線が遠くへ行き渡っていれば、基本的によい点数が得られるはずです。
でも、日本国の制定武術採点は本当に独特ですよ。一番簡単な高得点を得る方法はおそらく、現在の高得点者に直接伺うことになります。ご検討ください。
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