第1904話 また見知らぬ国と領域へ
- 2020/11/28
- 12:16

先日、久しぶりに東京で北海道中国武術倶楽部のトップの方との会談で知った話ですが、この私の変わった買い物が現在の倶楽部に見られて、この私に太極拳を学びたくなったようですね。当時では一部の会員さんは呉式太極拳の槍の練習のために私は横浜にあるお店に行って購入して来たわけですが、おそらく、このような仕事は世間からすると、誰かの手下の人間でも任せればよいのではないかと思いますね。
当時、お店に行って拝見したところ、まあ、随分の細い槍ではないかとの第一印象でした。これでは、初心者にはちょうどよいだと判断した私は即購入です。当時の会員8人の分、全員購入しましたが、お店に方は約束通り無料配送してくれようとしたところ、私はこれを断りました。たったの槍8本ですので、配送する必要があるのだろうかとこれが私の率直な考え方です。そして、配送されて不在ならば、更に時間を作って再配達しなければありません。ならば、私が運べばよいではないでしょうかと、お店の方からすると、こいつは変わっているねと、もちろん、このようなことは口が裂けても言わないと思いますが、腹の中では絶対、この人は変わっていると言っていたに違いないでしょう。
槍8本はたいしたことではなかったです。サランラップで巻いて固定して、私は普通に肩に担いで横浜中華街の街を普通に歩いて、夕飯は普通に中華街のレストランで済まして、その際に8本の槍はレストランの会計のカンター横に置かせていただきました。レストランのマスターはいきなり中国語で「大師」と話しかけてくれたのですが、このように沢山の槍を運んで繁華街で歩く人はまず、日本人はありえないでしょうと、中国人からしても絶対に変わっている人間だとの認識は強いですね。ですので、「大師」との一言でしたね。当時の私の答えは自分は下働きの人間ですと、こうなった場合は一般的に考えるとそのマスターと友達になって、そのレストランのカンターのガラスの下にはすでに日本国の武術の巨匠の名刺は数枚ありましたね。私は無名の下働きの人間にでもしていれば、無意味なわけがわからないお付き合いはなくなります。まあ、上海人の一番悪いところですね。皆様はご存知ないかもしれませんが、日本には町内会などがありますが、上海という都会は隣に誰が住んでいるのかもはっきり言ってわからないほどに東京以上によそよそしいです。
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よそよそしい人間は基本的に面倒くさいことは嫌いです。何事も簡単に片付けていればことがすんなり進むのではないかと思うのは本当の都会人です。もちろん、中国人も世界の色々な国と同様に親交できる友達がいることは変わりません。しかし、誰も見知らぬ国に入る際の不安、また、自分のあまり知られていない分野に入る不安は当然あります。私が来日の際にこのような不安はピークに達していましたね。言語もわからない、風土人情も何もわからない世界へ飛び込むとどのような感覚だろうかと言われるとかなりの深い不安に襲われていました。成田空港行きの飛行機が離陸した途端に私はもう一回飛行機が何かの問題で本日は飛ばなくて、このままもう一回上海虹橋国際空港に着陸してくれないかと、当時の20代半ばのわたくしはなんとこのように見知らぬ国への渡航を怖がっていました。これは、昨今のネットで儲けた若い社長が JALのファーストクラスで世界一周飛行の旅と違って、単身で所持金もかなり限られている状態でしかも、社会制度が異なる中で生存していくわけですので、不安だらけですよ。
話題が急に変わって誠に申し訳ございませんが、私が北海道中国武術倶楽部に参上した際の不安は、来日の飛行機の中で感じた不安とほとんど変わりません。飛行機の中では同行してくれた一人の弟子が太極門に関する色々な質問が飛んできたこともあって、私はこれで少しは分散できたことが幸いでした。
今になってわかったのですが、自分は少しだけでもネットに上がっている世界トップの動画でも拝見していれば、自分の感覚でこの動作のどこがいけないとでも言っていればよいです。自分は本当のところ、月から金まで、昔の太極五大流派の教室を開いても別に普通に教えられることはあまり多くの方に話していませんし、私は逆に呉式太極拳以外の教室を開くことは二年前の年末に呉家より嫡伝と認められた時点で消え失せてしまいましたね。わかりやすく言えば、この家を代表する人間は他派を練習することも教えることも本当は禁じられています。まあ、制定の表演でもっとこうすれば得点が伸びるくらいならば、家元の誰も文句は言わないでしょう。
当時の私、制定の倶楽部に行ったら何を教えればよいのかと、実質、私達の太極拳はそちらの太極拳とはかなり異なり、内勁を練習する太極拳は一般の方々にとってどのような存在であって、どのようにして続けられるのかは本当に不安だらけでした。私が倶楽部についた途端に待ってくれたのは倶楽部の色々な会員さんで自選難度選手もいました。何故、このわたくしが必要なのかは当時まったく理解できませんでしたね。
一人に人間にとっての見知らぬ分野は、異国への生活様式を選ぶと同じくらいに不安です。平成元年の20代の青年と比べれば、はじめて北海道中国武術倶楽部へ渡った時の不安はしっかりと50代の体に襲いかかっていたことは事実です。
幸い、北海道中国武術倶楽部で練習されている制定太極拳は、私の流派の遠い親戚のような感覚でした。骨盤ではなく腰を動くとか、足をあげる際の動作のパターンとか、体の溜めとかはかなり高レベルのものです。どれほどにレベルが高いかというと、これらのかなり難しい動作はこの国の全国大会の中でまったく加点されないほどにまったく理解されていないほどにレベルが高いです。まあ、この国の全国大会シード選手なんかは肩で回転したり、両手だけで回転動作をしたりして、うまい選手はなんとか骨盤だけで回転しているようですが、人間は骨盤だけで回転するとどうしても膝に大きな負担を残してしまうので、骨盤の回転も人間としては長続きできないものですね。中国以外の国々の制定武術のレベルは本当に低いと思います。
もちろん、何度も手術をして、いつ車椅子生活になっても構わなく練習している方の精神力には私も頭が下がります。
太極本来の基本は、人間の体の未知の領域へと開発になります。一人の人間は動ける部分と動けない部分です。太極の練習は見知らぬ国をこれからの生活ベースとしてのチャレンジに似ています。人体の未知の領域は見知らぬ国とは似ているようで異なります。飛行機に乗って数時間で簡単に異国へ渡れます。あとは何とかこの国の風土と言語を慣れることになりますね。人間のほとんど動けない骨格を稼働されることは飛行機のような道具もなければ、稼働という状態に到達ができなければ、慣れも悟りもありません。
内勁としての太極練習は異国の存在よりももっと遠い存在であります。
もちろん、毎日の練習はそんなに難しいものではありません。難しいのは毎日のように継続することになります。よろしければ、一緒に練習しましょう。コロナに勝ちましょう。

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