第1905話 太極の見方
- 2020/11/29
- 08:26

太極の動きをどのように判断するのか、どのような動きは内勁に伴うものなのか、またはどのような動きはいずれが内面的な収穫が得られるのかは今日でも六大流派が色々と乱れはじめており、特に、嫡伝以外の伝授は色々とスポーツや外家拳的な要素がかなり入り込んでいることはおそらくこの私だけが感じているわけではないでしょう。また、流派の中でも互いにあまり愉快な気持ちで共存していないこともあったりして、これはおそらく太極の祖先が一番見たくないものですね。今日になるともはや、太極門の嫡伝の一員でも太極の練習で必ず成功するとは限りません。私がいつも申し上げているように一人の近代人として六百年の歴史を持つ太極を練習することは当然、簡単ではありません。少なくとも、古代人の少しでも近い生活をしている者が望ましいですが、時代はすでにITが進み、人間はこれからパソコンやロボットに色々な仕事を任せ切る傾向が現れはじめ、人間はもはや時代の進歩とともに退化する危機を感じたのも私だけではないでしょう。一言申し上げますと、難しくて成功の兆しもまったく見えない太極よりもいち早く結果が残せる武術ははやるに決まっていますね。
太極、このゆっくりと動いている武術とも健康法とも言われているものですが、人間の体そのものを使っての動きとしてかなりわかりにくいものです。太極は通常に格闘のような動きで解釈すれば、太極本来の意味がなくなります。太極は強い者の弱いところを密かにコントロールすることを最優先に設定されており、これは対局を練習することで人の体の密度がかなり上がってきたことになります。当選、自分自身の体の弱いところも知らないのならば、他人の内面的な弱いところも知りません。
そして、相手の弱いところを感知しても太極の場合は決して無理に攻めることはしないです。一般的には相手の欠点に密かに不頂丢で就いていくだけです。こちらの体より密度が低いならば、相手は自動的に倒れますね。太極が比べているのはそれぞれの体の内勁の密度です。
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話は変わりますが、昨晩、私という伝統太極の人間は制定の先生と少々近頃の世界大会の動画を研究したところ、何故か見解がほとんど一緒でした。それはそもそも、研究会のはじめの頃から私は制定関連の方とご縁があって、制定が門外漢の私でも普通に問題点を口にしていたわけです。これは今日になっても変わらないですが、昨今の世界大会の一部の選手を拝見していると太極どころか、もはや難度動作だけが大切であって、かなり長い太極拳の部分はたとえ中国のトップ選手であっても何故か肩で回したりして、体が動いていなくて、両手だけが動く選手も、両手と体がかなりバラバラに動いていることも拝見しています。動いていないのは腰椎です。
こうなると、少なくとも一般制定套路で今日の選手でもたとえ腰椎が動いていなくても無理して骨盤を回転して、骨盤が動くと腰椎とほぼ同じ位置であるために一般的にはかなり綺麗に見えますが、しかし、自選難度武術の見解は世界的にこれ程に常識はずれになったことは本当に不思議ですね。武術を専門にしている私はこれらを拝見するといつも悲しくなります。
と言っても、いわゆる街角レベルの伝統武術が実際に練習しているものも、太極門の中で自分が本物だと言っている面々の一部も、結果としては人体の限界にぶつかっているにもかかわらず、それをまったく認識していないことがもっと悲しいでしょう。
今日になって、制定も伝統も結果的に自身の体の未知の領域に入ることを自動的に逃げているだけではないでしょうか。これならば、太極を練習しても他の武術を練習しても変わりがありません。
太極の見方は簡単です。方向転換しない限り太極は基本的に腰椎しか回転しません。たとえ人間にとってかなり器用な部分である両手と両腕もあまり大きな動きをしないのです。もちろん、今日のほとんどの太極拳や武術の見解は異なりますね。
いわゆる、アホのように動いて、いかにも歳をとった人間のように鈍い動きにして、いかに人間の素晴らしい身体能力を封じて…と言っても、人間は長い間の遺伝子的な退化で本当はこのように色々な器用な動きを封印して動くことが一番大切です。
よろしければ、一緒に体を科学的に動いてみましょう。

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