第1910話 第一の主宰
- 2020/12/04
- 13:13

これは宋遠橋の言葉になりますが、当時の中国語の主宰と現在の日本語や中国語の主宰という言葉の意味も大分差があります。当時では重要なポイントと解釈していましたが、現在ではもはや権力のある人間が一つの組織を支配することとして解釈するのがほとんどです。
当時ではもう既に多くの武術が仮想空間である丹田についてどうこう議論されていたわけですが、人間は何故か解剖学上でもはっきりと存在しない空間である丹田をこれほどに重んじるのかはよく分かりませんが、丹田の周りは本当に気を通すどころか、一般的に骨格と骨格がかなり死にかけている状態となっており、本来あるべく関節の姿もほぼ消え失せていることで力の伝達さえママらなない状態です。道の考えでは、人間は関節や骨格の虚実があれば、普通に力の伝達ができるようになりますと、それもそのはずです。骨格が完全に死んでいるのならば、我々の骨は一体となって巨大化し、かなりぎこちなく動くことは避けられませんね。その中の一つの関節でも開拓されれば、動きはかなり軽くなって、力も徐々に伝達するとになります。
古代中国の道では、人間の腰椎が一番動きにくいとされています。よって、宋遠橋の太極理論からすると、腰椎は当然のように第一の主宰になるのも当たり前ですね。腰椎がなんとか動きはじめてから、丹田がはじめて蘇る希望が出てきます。丹田に無理して意念をかけて、しかし、丹田自体が名門が圧迫されている状態で気がまったく通れない状態で意念をかけると丹田気という結果は出ません。元々、まったく稼働していないものや気が通っていないものに意念をかけることは脳の空回りの始まりです。脳の指令が常に不可能の動きや状態にかかり、反応が起こさないのならば、脳の指令も実際に弱くなりますし、反応がない指令で脳は体からの指令も受け取らなくなります。一部の気功偏差を起こしている方は眠れなくなることはここからきています。体が疲れているのに、その疲れている信号が脳に伝わりませんと、そうすると体がどんなに疲れても脳だけは興奮している状態です。当然、一晩眠れなくなります。気がついたら道端で倒れている症例もありましたね。
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太極は道から来た人間の体を変える訓練法です。結果として、人と衝突した一瞬に体の反応として自分を守ることもできます。太極は自ら人に攻撃を与えませんが、人が無理して攻めてくると基本的に相手を倒すことも不可能ではありません。よって、太極の普段の練習は攻撃の練習はほとんどないです。練習するのはもはや自身の内面状態ですね。ですので、十三勢は13個の動作としての解釈は成立しません。十三勢は13種類の内勁になります。
腰椎を解放することはまず、太極練習の中の沢山の腰椎だけの動きになります。しかし、現在の東京と北海道で私の本で練習している方々のほとんどが腰椎だけの練習がいかに難しいかはなんとなくわかってきましたね。
一般的に、人間は左右の回転の際に骨盤の重みで回転するのは当たり前です。骨盤はどの重さでしょうかと医者に問い合わせしたことがありますが、答えは人種や元々体の大きさで骨盤の大きさもかなり変わるようですので、一途に平均的な重さとまでは無理のようです。しかし、人間の体の中では骨盤が最も重い骨であることは事実です。一般的に考えると回転は最も重い骨盤の離心力から来る運動であることは当然です。腰椎一つは何グラムでしょうかと、これは離心力がほとんどないと言っても過言ではない軽さです。体の他の部分で牽引しなければ中々動かないです。太極が申し上げているのは、腰椎が自ら動くことです。腰椎と腰椎は随意筋で接速しているかどうかは分かりませんが、太極の上級者ならば、随意筋のないところも普通に動きます。これこそ、内勁です。
このように、太極は体の最も動きにくいところを日々の練習を通して徐々に稼働できる練習になります。もちろん、動きにくいところは簡単に動いてくれません。私もあなたも、かつての巨匠の皆様も、誰も彼も簡単ではありません。
太極は近道がありません。いかなる意念で体の動けない部分を動かすことも失敗で終わります。まして、意念をかけるべきところさえ間違っているのならば、それこそ本末転倒ですね。
これが私達の教室の理念です。よろしければ、一緒に練習しましょう。コロナウィルスに対抗できるのは人間自身の免疫の向上だけです。練習しましょう。

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