第1922話 触るという打撃
- 2020/12/16
- 12:48

太極推手では世には実に多くの誤解が存在しています。これは別に私が公に競技推手を批判したり、否定することではありません。はっきり言っておきますが、私の青年時代から今日に日本に至るまで、競技推手または同じ内容の試合で異なる名前になっている種目のトップ選手はいわゆる巷で流行っている伝統太極拳の推手よりよほど太極勁に近い、本当の競技推手の一部の方は部分的に太極勁を把握していることは何度も拝見しました。昔の上海市の推手チームでは何度も伝統太極拳の馬岳梁先生を読んで講座をしていましたね。今になると競技推手のレッスンではまずは伝統の人間は呼ばれません。それは他ではなく、伝統の名乗っている太極拳は本当に偽物が多過ぎて、どこも信用できなくなったからですね。意外にも、色々な国の民間の競技推手の試合では何故か太極拳を練習していない方が優勝したり、制定太極拳を練習している方が良い成績を収めることができることも珍しくありません。
私の言わせれば、太極勁の習得は難しいからです。だから、他の武術と手を合わせれば、負けもします。もちろん、最初から嘘だらけの太極拳ならば、一生涯練習しても結果が出ないか、太極拳以外の武術の結果で太極拳として名乗るのかになります。ともあれ、武術は強ければ良いと、試合のルールを守って勝てればよいと、これはまさに近代の武術としての不可欠な部分ではないかと思います。つまり、一定の勝負が必要です。この世には総合格闘技に身を委ねられる人は決まっています。かなりの強い精神力と人生の覚悟、命の覚悟が必要かもしれません。人格の悪い者は総合格闘技の選手としては失格です。先日の報道によると総合格闘技の試合でほぼ互角に戦いの中で蹴りが首に命中したところ、すぐに倒れませんでしたが、一般的には更に一撃をすれば勝利は確実です。実力がかなり近い状態の2人ですので、本当ならばもう一発で勝利を手にしますね。しかし、その時は蹴った選手は待ったのです。自分の一発は当たったと、かなり激しい一撃だとの感触はきっとあったと思いますね。その時に2人の選手は共に止まりました。少し経つと蹴られた選手は意識を失って倒れましたね。もう1人の選手はその時に考えたのはまず、蹴られた選手の安否です。ですので、勝負を決める一発は出さなかったですね。これこそ、総合格闘技選手の不可欠な人間力です。自分の分野以外のところにちょっかい出す狂人ははっきり言って、総合格闘技の恥でしょう。
世の中では武術や武道では沢山の流派があって、太極拳は自慢話ではないですが、もうすぐ1人で一つの流派時代が来ますね。私ですが、呉式太極拳の家より嫡伝と認められていることもあって、私は自分の流派を立ち上げることは不可能ですが、これは私自分自身の良心に問いかけることから来た結果です。
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太極の用法と言ったら推手です。これは、世のどの武術とも違う用法です。
世には推す手だから推手練習には打撃が含まれていないと考えている方が多いですが、これは誤解ですね。太極の打撃は触るだけです。触って相手に一撃を喰らわしています、
以前にも話したことがありますが、推手は推す手という意味ではありません。
推、推敲。手、手段。太極推手はもちろん、推すだけではありません。
一、もっと、両手に意識をせずしましょう。力で相手を腕で押してはなりません。
一、もともと、大極は全身に意識をかけない状態で動くべきになっています。
一、もっとも、そもそも、大極は世界各国の巷で考えられているものではありません。各家の嫡伝は本当のものを公に口にするわけがありません。
このように、私たちの教室は触っただけの打撃を練習しています。もちろん、私たちの太極拳慢架の練習も触っただけです。だから、ゆっくりで何も攻撃性がないように見えます。これを疑う人はきっと大勢いますが、それもそのはずです。
私たちの教室に中には昔ではかなり激しい打撃の武術を経験して、転入している方もいます。彼らは、触るだけの武術を体験して、これを認めて一緒に練習するようになりました。これはこの方々の選択です。
学ぶ気持ちのない方の見学が増えています。レッスン中に他の会員の前でこのようにゆっくり動いていて、それでも戦っているのかと疑いの声を上げるのですが、これはどうかと思います。大極は確かに独特ですが、他派武術を疑う気持ちでの見学はおやめいただきたいです。
太極を本当に好きになった方、一緒に練習しましょう。

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