第1928話 如懐中抱月、投針問路
- 2020/12/22
- 15:28

これは1980年代なかばの頃に鑑泉社の春節お祝いの際に、多くの弟子が馬岳梁先生に太極内勁はどのように練習すべきかの答えでした。まあ、当時は多くの弟子がこそこそと、まあ、すごいスピードで上海語でも使っていれば、師匠の二人はおそらく聞き取れないかと思ったのか、まあ、師匠はやはり保守的だとか、本物は子供にしか教えないとか…春節の気分は本当に吹っ切れましたね。皆は懐中抱月、投針問路のことを剣の動きだと勘違いしている人が多かったです。ただ、文句をぶつぶつ言っている人も結構いました。師匠への不振は近代社会の中ではまったく珍しくありません。特に、当時は中国も本格的な改革開放がはじまり、色々な分野で色々な異なる情報が乱れ飛ぶ中で、太極秘伝に関する説もかなり出揃った状態の中で、馬岳梁先生の見解は色々な素人が批判するようになりましたね。もちろん、一部のいわゆる善良な方は、子孫以外では絶対に本物を教えることはないだろうと言う持論ですべてを片付けました。
本当の結果はこうです。馬岳梁先生や呉英華先生は当時、まだかなり難しい太極拳を教えようと考えていましたね。太極はこうではないと内面的な動きはあり得ないので、何とか頑張って内勁にたどり着くよう指導していました。もちろん、何度教えても結果的に自己流で適当に太極慢架を練習する人に対しては、たとえ拝師弟子であってもお二人は適当に褒めておいて、あとはもう適当に野放しすることにしていましたね。あの時は二人とも80歳を超えましたね。80歳を超えている人間に対して、どのように教えろと言うのだろうかと、私は正直に思いました。師匠が言ったことはすぐに記録すること、そして、できる限り、二度と師匠が同じところを言及させないことが師匠孝行だと思います。私の祖母はあの頃では75歳を過ぎていて、画家で何とか絵を描いてかなりいい収入があったのですが、たかが絵を描いているだけで祖母はかなり自慢していましたね。私はどれほどに苦労してお前よりもいい給料を稼いでいると、先代の二人は、人は80歳、もう一人は86歳でした。本当にどこまで働かせればいいのかと私は本気で考えました。あの頃、師匠が表演会に参加する時も我々はまだタクシーを呼ぶお金が十分ににありませんでしたね。後に馬岳梁先生に拝師した私の叔母はマカオ在住でその収入は当時の中国人の計金収入のやく十倍であったので、彼女が上海に来るといつもタクシーで馬岳梁先生と呉英華先生を送るようにしました。呉先生は流石にもうタクシーではなと遠出は難しかったです。
その中で、多くの弟子に懸命に教えているにもかかわらず、我々の多くは師匠が自分達に本物を教えていないと愚痴を溢すのは罪ですよ。師匠が一生懸命に教えているにもかかわらず、自分達の器が小さ過ぎてまったく受け入れられないならば、自分達のせいですよ。本当に師匠の言う通りに練習していたら、どこかで結果が出るはずです。
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懐中抱月、投針問路は間違いなく、太極慢架練習の中の化勁と発勁のことになります。結果的に我々は一定の内勁を身についているのならば、何かを軽く包んでいる状態で化勁を使い、実際に発勁の際ではどちらかと言うと細い針を軽く投げて、相手の最も弱いところに入っていくようになります。
昨日も話ししましたように、太極の発勁は決して力で解決するものではありません。どこかの偉い先生はね、俺が全力で推していたら、世の中のどの巨匠も力で返して来ると言っていましたが、申し訳ないですが、そのご自分の力がこのまま化勁によって戻されれば、当然、懸命に押した分が全部戻って、当然、かなり重く戻って来ます。もちろん、化勁ができていない方ならば、力で返すしかありませんが、力で返したものと化勁で返したものの違いは太極慢架を数年練習すれば、きっとその区別は分かりますね。
当然、剣や槍も刀も、化勁と発勁でこのようにかなり軽い状態の中で行うべきだと、当流派はこのように解釈しています。世の中の色々な解釈では、呉式太極拳は柔化しかできないとなっていますが、呉式太極拳は発勁もありますよ。ただ、呉式太極拳の発勁が軽過ぎていて、相手はほとんどわからない状態でやられることが多いです。
当流派の4代掌門は以前に呉式太極拳は発勁がないと公に話していましたが、私は異義申し立てしました。呉式太極拳には化勁も発勁もあります。
今回の世界文化遺産登録で太極拳のいかなる形も認めているわけですので、はっきり申しますと今後の宣伝は益々難しくなります。場合によって、本当にブログの意味がなくなる事も視野に入れています。当然、私のブログだけを読んでも何の勉強にもなりません。私のブログだけを読んで、慢架を練習していたら、大変恐縮ですが、その慢架は問題になると思います。
少なくとも、ブログを別の形に変更しないとほとんど集客につながらないこともあります。そして、業者の皆様、大変申し訳ないですが、私がこの分野の専門家です。私のホームページは皆様に任せられないのでご容赦ください。私が世界文化遺産の太極拳を練習しています。ホームページ業者の方々は世界文化遺産と関係ないです。
ほぼ、すべての太極拳が世界文化遺産になりました。あとは、どこの太極拳が魅力的であるとお客様が認めてくれればよいです。
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