第1958話 軌道修正
- 2021/01/21
- 11:26

これは誰でも人生の中で何度かある出来事だと感じます。私は、ほぼ断念から太極勁の奥深さに突然到達してしまったことの時に人生の大きな軌道修正を行なっていました。そろそろやめようから、これは生涯練習するものにするとの修正は当然、一人の人間のすべての日常生活を変える決心はなかなかのものです。
1996年に師匠の一人である呉英華先生が他界、私はちょうど日本国の企業で懸命に働いていたこともあって、上司に正直に太極拳の師匠の旅立ちで休暇が欲しいと言ったら正直に却下されました。当時の日本はかなり不況になったのですが、人々は、今こそ正念場だと確信して、今まで以上に仕事に情熱を注いでいけばきっと強い日本が戻ってくると信じる上司はほとんどです。
これが今になれば、各量販店で色々拝見していると販売員は本当に売る気があるかどうかと言ったところですね。社会の景気は大体、量販店を見ればよいです。量販店の販売員を見れば、このお店はどのくらいに売れているのかが分かりますね。メーカーは安くていい商品を提供すれば売れるのです。または、人々の固定観念をしっかりと作っておけば、常に何とかほとんど変わらない新商品を次から次へと出しておけば、人々は固定観念によって買ってしまうのですね。このような商品は、販売員がいなくても、自動販売機でも売れると思います。これはもはや量販店の力ではなくメーカーの力です。今日のメーカーも企業も仕事が減ったこともあって、太極拳の師匠が亡くなったとかで有給も割に簡単に取れる気がします。呉英華先生や馬岳梁先生が他界した際に私は自分の親が亡くなったと嘘でも言っておけばよかったと今になって反省しています。当時の私は日本国の大学や企業の洗脳でしっかりと日本という世界先進国では嘘はいけないと、これは自分の信念だと確信していました。しかし、20数年後の今日ではこのように思っているの日本国の会社員は全体の何割なのかは本当にわからなくなりましたね。
ああ、先代の二人は今の時代まで生きていればよかったですね。個人事業をやっている私、もちろん、呉先生が本日亡くなったと聞くと会員の全員が私の渡航を賛成してくれると思います。まあ、コロナで自粛2週間はあって、今日でも何か事件の時ではたとえすぐ隣の国であってもなかなか渡航できない色々な事件が常に起きているかも知れません。
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本日は、当時の出来事を何故か急に思い出しました。呉先生が他界して見送りもできない私はかかり落ち込み、しかも、あの時点では私も呉式太極拳をちょうど20年過ぎたところでまったく結果が出ないというか、日本国ではこれこそ推手練習は20年間には本格的にやっていませんでした。これによって、太極勁習得も当然遅れてしまいますね。当時、馬先生はまだいまして、何とか安い電話カードを手に入れては先生に色々と質問を沢山しましたね。流石に90歳過ぎた先生は伴侶を亡くしたショックもあって、時々、こちらの質問を違う答えとして回答してくることが何故か多かったと覚えています。私、その時は呉式太極拳を断念する気持ちに傾いていましたね。
他派の太極拳をやってみようと考えたのですが、当時のネットではまだこんなに沢山の動画があるわけではありませんし、太極拳動画を見つけたにしても制定太極拳がほとんどでしたので、私は他派太極拳を浮気する機会になかなか恵まれませんでした。もしも、96年の年に私が中国に住んでいたら間違いなく他派の太極拳をかじってしまったと思います。今日までその流派の太極拳を続けているのか、または呉式太極拳に戻ったのか…もしかして、太極拳をやめたかも知れません。
そして、世の中に日本語のご縁という言葉を確信したのもその時期でした。私が呉式太極拳をほぼ断念した状態で、何も期待せずにアホみたいに練習していたら、96年の秋のある日に私もとうとう「開胯」を実現しました。以前にもこのようなこのような記事を書いた記憶があって、すぐさまにコメントがあって、先生は20年もかかったのですか、俺は2ヶ月で開胯したよとのコメントもありました。まあ、見解の違いは大きいですね。
馬先生は素直に私の結果報告を聞いて、大いに喜んでくれました。私が自分の開胯の報告を説明していたら、これは正解だと、私は師匠に何故この感覚を早く教えてくれないのかというと、先生はこの感覚を意念かけて練習すると結果が出ないと答えてくれました。更に、先生は他の色々なことも教えてくれて、あの時の国際電話はかなり嬉しかったです。今の技術ならな、会話をしながら録音、録画も不可能ではないですが、当時では5000のカードを買って、確かに4時間近くもお話ができたことでもかなり嬉しかったです。今ならば無料ですよね。師匠は私から電話が来ると聞くといつも子供の誰かに椅子を持ってくるように依頼していました。話しが長くなるからですね。
このように、太極勁の練習で突然と太極勁が現れれば、人間としての嬉しさは本当に半端ではありません。人間の体、人間の骨格がこのようになるのだと、それは来る日も来る日も練習しますね。太極の懂勁を一定レベルまで来たら、太極拳の練習は一種の楽しみになります。
現在の研究会では多くの方は少しでも私に近づけるように努力していると感じています。もちろん、皆様もいつかは浮気したくなる時期が来ると思います。この私が今からでもしっかりとした進歩があれば、皆様もこれを信念へと変えていくはずですが、非常に残念なことに自分自身の今までのレベルに達した者は進歩することはかなり困難であり、たとえ進歩があったにしてもかなり微弱なものに過ぎません。これでもしっかりと感じる会員さんはすごいと思いますね。実際に研究会の7年間の間に私も太極勁の小さな飛躍がありました。これがしっかりとわかった会員は一人だけでしたね。これも懂勁の一種になります。
明日は引っ越しの日です。これも軌道修正の一種になります。何とか荷造りします。徹夜になると思います。ブログは、今までに一番短いものにしてみます。ご了承ください。

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