第1995話 無所為
- 2021/02/25
- 12:46

老壮思想の無為無争は近代社会の中では中々理解されないことは想像できます。近代人は誰も一つの形もないものを理解できるとは限りません。去年の年末では太極拳というスポーツとでも言うべきか、拳法とでも言うべきかなり広い範疇で世界文化遺産になりました。これは、いかなる形でもいかなる流派でも、実際に五大流派の名前はまったく言及されておらず、太極拳の世界文化遺産はどこからどこまでと言う範囲もほとんど指定されていない状態で通りました。
ところで、私の記憶が間違っていなければ、それはドイツにある自然遺産の出来事ですが、高圧線を引いたことで世界自然遺産が剥奪された経験もあります。例えば、数百年後に太極拳の練習で多くの人の怪我に繋がっているのであれば、太極拳の世界文化遺産の剥奪もあり得るのです。アジアの人間が申請して、欧州人の観点での判断ですので、現在の近代人である我々が伝えようとしている太極拳と言うものは果たして文化遺産に値するかどうかは中々、確かな見解になることは本当に難しいと私は思いますね。
五大流派の基本理論がバラバラどころか、同じ流派の中でも適当に色々と異なる見解が適当に出されていますね。これは、呉式太極拳の上海鑑泉社も変わりません。先代の二人が生きている頃だとけっこう懸命に教えていたのですが、でも、実際に学ぶ立場の人間はどれほどに聞き入れて、太極の基本をどこまで自分のものにしたのかというと、これは、先代が晩年の私との会話でなんとなくわかります。あの二人が申すには、皆(学生や弟子)はかなり自分なりに太極を解釈していて、かなり伝わっていない…悲しい…先代の二人は晩年、本当に悲しんでいましたね。太極の基本が上手く伝わっていない…
これは、今日の中国の呉式太極拳の巨匠の皆の動画を拝見して、私も同じふうに感じます。つまり、呉式太極拳の基本が伝わっていないです。
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このような現状を拝見していると私は呉式太極拳の嫡伝の面々との会話の中でいつも憂い気持ちでいっぱいですが、実際、今の新しい掌門が私にアドバイスをくれました。と言うよりもいい勉強になりました。「上海人も東京人も、よそよそしいと言う美徳があります。」と、中国江蘇省宜興に住む呉式太極拳の掌門が東京人を研究しているとは、本当にびっくりです。近代人のはずの40代の中国人男性ですが、流石に道を研究していた先代の孫であって、人間に対する研究は本当に深いと感じました。
私の若い頃の夢、生活が何も問題がない豊かな状態で太極を無償で教えると、太極は商売として教えるべきではないと、教える人間としての自分も太極を練習しているので、本当のところは無理に太極拳界隈で色々な競争に加わることがなければ理想であることは今日になってもしっかりと感じております。しかし、太極を事業と商売にしないことは今の私には中々できません。これは非常に残念です。
無所為、これは太極の練習で何も結果を求めず、いかなる武術的な強さも求めず…そして、太極の根本は人間の非常に弱い状態の動きで成り立っていて、太極を練習する人間は一切の強さ、美、貪欲への憧れが皆無状態は最も望ましいです。
研究会で太極勁にかなり興味津々で懸命に練習している学生や弟子がおります。
無所為、これが私が皆に差し上げる秘伝であります。もちろん、日々の練習では私は基本的に色々と練習の要点を皆さんに教えています。
太極は用法がないわけではありません。しかし、現在のところではまだ教えても中々理解されないので、教室では基本的に太極用法を教えていません。皆様の進歩によって、太極用法を徐々に見せはじめています。幸いなことにほとんどの会員さんは、私が見せた太極用法は皆様が現段階ではまだ無理である悟りがしっかりと現れています。本当にありがたいことです。
よろしければ、一緒に練習しましょう。

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