
もうすぐにブログの2000回に到達しますが、私は今後、日ごとにテーマを決めないように描こうと思います。太極を描くには特にテーマが必要しないからです。もちろん、太極を綴るにはただの理論だけではありません。太極は一種の生き方でもあり、太極の上級になった人間は性格もかなり穏やかになります。これは、武術としての体の状態がかなり整えた事によっての自信の表れになります。武術としての自信が人生の自信にもなるとのことです。ですので、私くらいの実力では武術としての実力がまだまだかなり低い事になりますね。
太極の本当の上級者は自身の生活が如何になっても、周りにどのような雑音があっても、他派武術よりどのような誹謗中傷されても微動ともしないはずです。これは昔、他派武術の上級者も同様でした。中国古代では、武術を格闘技として預かっていないことは今の近代武人の誰も理解できないはずです。近代の武人は如何にして強くなること、如何にして達人になることしか考えていないですが、自分自身の人間としての本当の弱さ、しかも、人によってはまったく異なる弱さを悟ることが武術そのものであることは近代武人の誰も知らないでしょう。
武術、特に道と関連している武術は自分自身の弱さの修正を最優先にするべきです。自分自身の体に多くの欠点や傷が残っている限り、本格的に凄い内勁を得ることは有り得ないです。関節が明らかにおかしくなっている方、関節が潰れている方、骨格が著しくずれている方、若い割合に関節が部分的に石灰化になった方はまずは自分自身の骨格を整えて行かない限り、内勁どころか自身の五臓六腑のバランスも崩れたままです。この状態では、内勁の全身の統合なんかはあり得ないですね。
いくら站桩やっても無駄です。
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如何に興奮しても無駄であることは私も徐々にわかってきました。もちろん、私はいくらネットで正しい練習法を綴っても毎日のように世界では沢山の武術教室で色々な適当な教え方で武術や太極拳を教えています。
これは誰のせいでもなく、長い間に中国と言う国で色々な憶測で武術を教えている人間はいつの時代も絶えない限り、中国武術は適当に解釈されることは消えないはずです。特に1980年代から中国が改革開放のお陰様で色々な商売が自由になりました。私達の鑑泉社もあの頃から公に個人事業として生徒さんを教えることが正式に国より認可されました。中国はあの頃から、売春や麻薬、収賄受賄や国家転覆ではない限り、何をしてもよいわけです。
私が鑑泉社の授権点をいただいた時点で鑑泉社常務理事の一人は確認事項として、制定太極拳への批判をやめるようにと言われました。後に私が呉式太極拳嫡伝であることが確認された時点では本部より再度の確認がありました。
互いに生きていくことがもはや中国国内で確約されているはずです。いかなる太極拳を練習しても合法です。
先般の太極拳世界遺産登録文書ももはやこの論点に従って作られています。私見ですが、世界文化遺産になったのはもはや太極拳という名前です。
ところで、狂人徐暁冬は子供のような性格の持ち主ですが、彼の行動はとても正義的な行動になります。弱い武術を人様に伝授することは道徳違反です。
近頃の中国は、気功などでまったく効果がないのに、高額な施術料金を取る商売を取り締まっています。日本もこのような施術を沢山拝見していますが、日本は国民の美徳の一種である泣き寝入りによって、今までは裁判らしい裁判になった形跡がありませんね。裁判になったとしても裁判所は責任相殺で棄却かかなり安い支払命令で終えるはずです。
本日もかなり脱線しましたね。
今後は毎日のように当たり前に脱線していきます。
多くの聞き取りで多くの方は太極拳で検索すれば、沢山の教室が出てきて困ってしまうそうですが…
私は太極拳の専門家として、太極を練習する人は、自身の弱さへの認識、学ぶ方の弱さの修正を行う教室であれば、本物です。
よろしければ、一緒に練習しましょう。
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