第1997話 拝師帖と回帖
- 2021/02/27
- 01:38

太極門の入門は基本的に弟子が師匠という個人に憧れて、師への尊い気持ちで拝師帖を書いていたら、師としては本当は回帖を出さないといけません。もちろん、近代社会では特に出さなくなった師匠も沢山います。本来ならば、師匠が他界した時点で弟子は誰々の弟子ですと、はっきりと言えないと本当に困ってしまうのではないでしょうか。
この私の酷い欠点ですが、なんでも口実で片付けてしまうことです。毎日が忙しいだから、休日はしっかりと休みたいから、自分の練習もあるから…ていうわけで、私は数年前に数人の弟子に恵まれましたが、まだ、回帖を皆に差し上げていません。色々な口実で自分自身を欺いていますが、本当のところ、私が引っ掛かっていることは自分自身の悪筆でございまして、しかも、誰よりも面子を重んじる私は回帖はできる限り自分自身の直筆で書かないといけないと頑固に思い、今日に至るまでまだ弟子の皆に回帖を差し上げていません。
はっきり言って、祈る気持ちになりましたね。なんとか、弟子の全員に回帖を出す前に命があって、自分自身が健康であって、なんとか少しでも人々に見せられる最低限度の字を練習しないと、いつになっても回帖を出すことがありえないですね。拝師帖と回帖は、道の中の最低限度の礼儀であり、師匠としての私は少しでも失礼のないようにしないと流派の面子もかかっています。私は一応、呉式太極拳の嫡伝であって、しかも、弟子の全員は日本人でありますので、一人の中国人としての面子もかかっています。
人様の師匠になることは本当に簡単なことではないです。特に、嫡伝弟子は流派を背負う責任があって、自分の休息時間を削っても、授業料の一部を免除してでも弟子に教える義務があります。実際、当時の先代の二人は無料のレッスンをかなりしました。当時の中国人の収入はかなり少なかったです。お金がなくて呉式太極拳が好きな方々にお月謝がなくても、先代の二人が喜んでレッスンしていました。レッスンの時にかなり美味しいお茶が出ました。もちろん、あの二人よりもいい給料をいただいている人の月謝は普通にいただいていましたね。
月謝も、今の私みたいに一月おいくらではなく、先代の二人の月謝は、適当に上げればよかったです。
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話しが違いますが、私は小学校と中学校の際に国語の勉強はほとんどできていないこともあって、最低限度の筆で書くことは私にとってはかなり困難なことになります。そして、漢字の書ですが、生まれつきに字が書けない人がかなりいるようです。
漢字は世界文化遺産になることを願っておりますが、写真という芸術ならばこのわたくしはなんとかなるわけですが、漢字の書という芸術は私にはどうしても合わないようです。
どのように回町を書くのか、私は眠れないくらいに深く考えたくないです。
字が生まれつきも汚い人はこの世にはかなりいます。しかし、私は、写真がなんとかなる人間は集中すれば、字もなんとかなると信じています。
少なくとも、流派の直系弟子である証明と、回町は流派の顔に泥を塗らないことが望ましいです。
太極は芸術です。師匠の回町は基本的に手書きになります。
私は弟子を取る際に拝師料はいただいていません。よって、弟子の皆様に差し上げられる回帖は普通の紙の安いものになります。昨今の中国の巨匠は18k金の回帖を弟子に配るケースもありました。
回帖は、弟子であることの証明です。
私は、回帖の価値よりも弟子の実力が大切だと感じています。太極の実力はまず、その人の健康状態が変わったのかどうか、人間として落ち着きが変わったどうか、虚実のバランスはよくなったのかで決まります。
太極の強さは決して一発が来たらどうやって一発を返すことではありません。
太極は漢字に似ている芸術の一種です。もちろん、太極拳の巨匠は漢字の出来がかなり分かれますね。楊式太極拳巨匠の先生方や師匠の馬岳梁先生は本当に達筆ですが、当流派創始者の呉鑑泉先生はかなりの悪筆で知られています。
とにかく、手書きの回帖、頑張ります。

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