第2021話 2021年3月23日
- 2021/03/23
- 23:37

人間は大自然によく似ていると言われています。これは道の根本でもあります。道は太古の昔から人間の体には「虚」が絶対的に必要であるとの見解がありました。別名、「太虚」という言い方で人間の体の中にもっと緩和ができる空間がなければいけないと指摘しました。
人間は、毎日のようにしっかりと重心がよく、まったく倒れないように立っていれば、人間の体にも徐々に虚実が失ってしまうわけです。あちらこちらでしっかりと立てるようにとか、中定ができるようになるとかの夢想で頑張って練習している所謂「站桩功」は、皆様の虚実を壊す練習になっています。太極拳の練習の中では、体のすべての箇所に虚実のバランスであり、太極慢架のすべての瞬間に虚実があると言われていたら、この40数年も練習している私、もちろん、虚実を40数年も正確に練習している私でさえ完全にできていません。
このようにブログを書くと本当に危険がいっぱいですね。太極はこのように難しいものであれば、誰が太極を練習するのだろうかときっと、多くの近代人はこう言いますね。何故、このようにして、自分自身の体を変えるように頑張るのかは本当に理解できないでしょう。もちろん、一定の年齢になった方でご自分の衰弱をしっかりと感じるようになって、そして、なんとか自身の体をなんとか維持していこうと、または、本当に武術が好きでしかも難しい武術が好きでなんとか時間を掛けて太極の「以意行気」、「四両抜千斤」の凄さを学びたい人ではない限り、私の教室には来ないでしょう。来ても、すぐにやめてしまいますね。無味乾燥な練習は近代人に合わないですね。
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武術を適当に教えるならば、私だってできます。太極拳の用法ですか、それならば、私は今の世の中のどこの教室よりも教えられますよ。自分の流派の以外の用法も教えられます。他の流派の太極拳ならば、少なくとも武式太極拳、孫式太極拳ならば、少しでも復習すれば、適当に教えるくらいならば簡単にできます。用法も当然、世の中の教室に負けません。
他の拳法ならば、馬岳梁先生が若い時に練習していた三皇砲錘くらいならば、嫡伝の私は少し復習すれば普通にできます。
他に、制定太極拳くらいでしたら、少し時間を欠けていけば、なんとかなるでしょう。
太極や武術を商売としてなんとかするならば、他にも沢山の商売方法があります。しかし、物質の価値と伝統の価値は等価ではないと私は思います。
日本国の職人さんは、純金の金塊を金槌で軽く叩いて、一つの壺まで作り上げる技法があります。しかし、売っているお値段はほぼ黄金の値段だけですね。コロナの前の爆買い中国人の多くはこの職人さんによる純金の壺を買っていましたね。黄金の値段しか取っていないので、これはかなり安い芸術品だと判断したからです。
ただのスポーツとして、体を鍛えるための太極拳なのか、それとも、人間の根本を変えていく太極を続けるのか、このような難しい話は近代人の誰も嫌です。
やっと、9時閉店になった多くの居酒屋で飲んでいる多くの人は誰もこのような話しは難しいと言うはずです。
この世には本当に適当に生きていくしかないように思われますね。
しかし、自分の体は自分で管理していくしかありません。なんとか長く使っていくことはこれからの若者の定めのようなものになります。年金制度はいつまで潰れるのかはどこも保証がありません。つまり、生涯現役の可能性がかなり高まってきています。
まあ、人生は数十年、百年くらいです。どのように過ごしていくのは皆様の自由です。

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