第2115話 2021年6月25日
- 2021/06/25
- 13:52

人は歳をとると何故かいつも過去を懐かしむのです。先日ですが、私もまた中国にいた二十代の頃のことを思い出しました。幼い頃は中国の江蘇省の宜興の田舎町で生活していましたが、今は、宜興の都心は東京の新宿とあまり変わらないですね。もちろん、私は昔の小さな町の宜興が好きです。台湾人の知り合いからの見解では、台北は中国大陸のような高層ビルニョキニョキではないようですが、昔の町は本当に人情があって、中国江南の町は本当に「小橋、流水、人家」と言う風土はかなり魅力的です。もちろん、私の幼い頃では社会の動乱もあって、水は化学物質で汚され、古代の建物もほとん修繕していなかったことで老朽化は半端ではないですね。新しい橋は作られたのですが、逆に古代の風景はかなりと破壊されましたね。幸い、今は経済の発展で私の第二の故郷は中国の中でも、「最江南」と言う褒め言葉を頂きました。
しかし、動乱の年代のことはさておき、改革開放の初めでは青年の中でもかなり理不尽なこともかなり記憶に残っています。先日はあの頃の夢を見ました。実際に、私もあの出来事はどうしても忘れられないですね。私は太極拳を練習していることは、小学校の頃から町の皆に知られていました。小学校3年の時は実質の中一の強い奴を倒したこともあって、私が毎日のように慢架を練習しているのも町の誰も違和感がありませんでした。中には太極の名を知っている年寄りもいれば、体育学校卒で地元の学校に配属された体育の先生も一応、これは、24式太極拳よりはかなり長い太極拳である認識をされました。
私もやがて、故郷の上海で生活するようになり、旧正月は逆に宜興の町で親と過ごすことが多いです。旧正月の1、2日は上海で色々と挨拶をこなし、3日からは田舎に戻ることが多いですね。しかし、田舎に戻ると本当に武術を練習する若者が増えましたね。別に何かの武術隊があるわけではありません。映画「少林寺」上演後は町では頭を丸める若者が増え、やがて、香港や台湾の武侠ビデオが上演出来るようになったら、町では急に色々な武術を練習する若者が増えました。もちろん、当時の私は色々な若者の武術と武侠ビデオの関連性には結びつきませんでした。もちろん、興味もありません。
しかししかし、86年の旧正月の帰郷では生涯、忘れないことがありました。旧正月の休みでは、私はいつも朝と夜の2回の練習をしていました。朝は早く、夜はできれば遅い時間帯で人のいないところで練習していました。それでも、私が練習しているところで知らない若者が急に現れ、私の練習は健康法ですかと、聞いてきました。そして、あの人は自分は、蠍拳法と鰻功法を練習していると、もちろん、私にその功法を見せてくれました。私はもちろん、このような武術を見たこともありませんが、実際に使えないものは普通にわかりますし、もしかして、どこかの映画から得たものかと普通に推測していました。向こうはできれば交流したいと申し出たのですが、私は当然、断りました。後には私が上海へ戻る1週間に地元の青年の間では私は挑戦されて逃げたとの噂がかなり広がっていました。
先日、かの青年が見せてくれた動画は偶然、YouTubeで見つかりました。以下の通りです。是非とも日本の皆様と分かち合いたいですね。残念ながら、広東語です。
1989年の正月、私は中国で最後の旧正月を宜興で過ごしたところ、町では武侠映画の代わりに闇のアダルトビデオが流行っていました。そして、私に蠍拳法と鰻功法を見せてくれた青年は性犯罪で実刑を食らっていたそうです。まあ、おそらく、闇アダルトビデオのおかげでしょうね。
今の時代ではこのような武術の練習は中国国内ではもはや笑い話のようなものですが、中国以外の国では武術と言ったら、映画の武術をこのまま練習している武術団体はかなり多いでしょう。もちろん、制定武術であれば、色々な美しい造形で見せる美を大切にしているので、これは映画の効果と合致していますね。逆に、多くの映画は制定武術を大前提で作られています。
はっきり申しますと、伝統武術、特に家元の太極は世の中では想像も出来ない地味な動きで練習しています。もちろん、見たこともない動きは基本ですね。
そして、この40年間、中国はまったく異なる国になりました。
私は来日して33年ですが、日本もかなり変わりましたが、まったく異なる国にはなっていません。
おそらく、日本と中国、それぞれの武術はこれでかなりの異なる方向に向かっている気がします。

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