第214話 取其精華 去其糟粕
- 2016/03/26
- 22:35

我々の世代では自国の国語がほぼ独学で習得した者が少なくありません。思い起こすと我々は中学校の頃から自習時間の学習はほとんど小説を読むことにしていました。まあ、当時の私たちの国語の教科書で中国語を知ることは無理でした。まあ、皮肉に我々が当時の小説は非常に古い物ばっかりで、ページが欠けている物もかなりありましたね。
近頃に中国国内の本屋を立ち読みをしていたら、今日の中国語の書物の多さに本当に驚いています。私が日本国をベースにしていなければ、おそらく、片っ端から楽しむようにしているはずです。
私が丁度、高校に上がった頃に中国国語の教科書やその他の教材がやっとのことで軌道に乗ったのですが、と同時に中国の若者の間で流行り始めたのは香港のフアッシュンやヨーロッパの背広でした。我々は本当に中途半端に義務教育を終えてしまいましたね。
当時の中国語教育の中で、この「取其精華 去其糟粕」が現れていました。諸外国の何が素晴らしい物が何がかすなのかを分別しなさいという意味になります。
輝くものかそうではないものかの判断は時代と国、そして、世界観によってもまったく違います。本日の中国の四字熟語はまさにこれを表しています。私達がはじめてこの言葉を習得した頃は、宝とは国を命がけで建設していく革命思想であり、ゴミ同然の物ならば、資本主義の金銭万能思想が上げられていました。まあ、文化革命から遊離されたばっかりの頃だからでしょうね。
ところで、話しを急に変えますが、昔の社会主義理論では一つの物事には必ず両面性が存在すると強調していましたが、今日の世界の一部の分野では、圧政や自己中心的なシステムでただのゴミみたいな物を量産してきたことは判明されています。
人様の気持ちを無視して一部の人間の趣味だけでできた組織は両面性よりも評価することに至らないでしょう。同じ業界の者ならば通常は競争相手のことをどうこう話すのは、どの国も変わらないです。私も実は同業者についての発言はできるかぎり避けたいです。しかし、今日の世の中では平等ではない評価やはっきりした嘘つきの専門家に挟まれると、真理を述べなければならないことできっといつか多くの人間が挙って立ち上がるのでしょう。
近代社会では宝とゴミの受け入れと切り捨てよりも、宝とゴミの分別がさきではないでしょうか。
これからも、皆様一緒にと幸せな人生を送っていきたい所存です。近代人は誰でも宝物を求めるのが一般常識です。ゴミを宝物として預かる人間の手段は言語道断です。このような組織はいつかは潰れます。
スポンサーサイト