第215話 能力に応じての修練
- 2016/03/28
- 02:13

人間の能力の差は動物よりも激しいことがわかっております。そして、人間ほどの無能な動物がいないとも言われています。もちろん、人間の脳の凄さは説明する必要がまったくありません。最近ではパソコンが囲碁で世界トップ選手に簡単に勝ってしまいましたね。
ところで、パソコンが人間の脳に勝つ前は、人間の自信からの傲慢で囲碁の世界ではどのような先進的なパソコンでも人間の脳には勝てるわけがないと言われ続けていましたね。
そして、武人の一部も戦えば俺は強いと勝手に感じている人がいるようですね。幸い、日本国の武人は優しい国民性によって謙遜を徹底的に貫いている方が多いです。
今日の世界でも、人体の能力で相手を倒す種目があります。しかし、これはスポーツという分野の中で行なわれているものが多く、当然のように武力での戦闘力の制限かなり大きいでしょう。装具によっては打撃力もかなり減るものもあれば、引っ掛けたり、掴んで関節を決められないものもあります。
よって、スポーツ種目としての武術は不完全な実戦か美の競い合うのどちらかになることが今日の世界のほとんどを示されています。文明社会で人の命を守るのは何よりですね。
一方、人間は強くなりたいなら、懸命に自分自身の体を鍛えるはずです。しかし、体をこき使うなら満身創痍になることも当然、避けられません。これは、スポーツの世界も同じです。多くの種目ではいかにしてお怪我を少なくする研究をされており、医学的に多くの研究も出されています。
でも、そうではない出鱈目な組織は整形外科の専門知識がなく、あくまでもアマチュアレベルの団体による競技であれば負傷後の手当てもままならない状態では、多くの民間人が痛手を食らうことの他に何もありません。
太極拳という養生術兼武術の独特な武術では従来、一人の人間がほぼ無理のない程度の動きを続けるなら、真の強さが習得できるとの哲学の元で修練されていました。足は無理して蹴り上げることがなく、無理して体を捻ることもないありません。無理のない小さな動きを続けることによってどんなに弱い人間でも太極拳という武術で強くなれます。
中国やその他の地域の制定武術選手はほぼすべてと言っても良い位に本格的に戦える武術を研究しています。民間の師匠に弟子入りをしている者もかなり多いようですね。日本国も最近では、規定種目の中で伝統武術のままで出場する方が現れはじめています。これは逆に中国国内では絶対にありえないことです。
美として見せていく武術は可能なら、幼少より基本功の修練が基本です。大人になってからの制定武術はどうしても硬さや体の機能低下による制限があります。正しい内勁の訓練もできない状態なら、無理をして美しい動きを見せると余計に体を壊す危険が増えます。
もちろん、人体の構造を知った上で高難度技を修練しても、怪我から身を守られます。当然、もっと難度の高い技も出せます。
武の実力を上げるには、自分自身の弱点を知ることが一番の近道になります。
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