第217話 誰が決めつけたのか
- 2016/03/30
- 01:04

一番最初の写真といえば、ほぼ全ピントが合っていることが優先されていました。ピーンホールカメラはそうでしたね。一枚の写真のどこかでピントが合っていなければ当然のように失敗作とみなされていました。
しかし、これは誰が思ったことでしょうか。百数十年後にお写真の背景をいかに美しくぼかすことでレンズが研究され、そのボケ味の為にカメラマンの皆が懸命に計算をしています。
今日では、昔ではなかなか理解できない病気の研究も進んでいます。よって、新たな病名も生まれてきました。勿論、病気は医者という一人間が診ているわけですから、誤診をすべて医者の責任にすることも無理ですが、収入を考慮して一人の患者に当てる時間の短縮や、貧しい患者さんが高い治療ができない状態なら粗末に治療をしてしまうという同じ病例なのに異なる対応法を用いることは、ただの拝金主義の被害でございます。まあ、これは今日の歯科医に中ではかなり見られています。歯医者によって問題ある歯を軽率に抜いてしまう決断もあれば、なんとか残して治療していく方針を持する医者もいます。
故に、私は多くの関係者に、今日の社会情勢の中では医者と病院はとことん浮気をしてくださいとお勧めしております。
武術や武道は基本的に相手を倒せばよいですが、一般的に相手に勝つ為には自分自身の強さを上げていくのですが、あまりにも不合理に強くする方法のほとんどは、体に負担をかかり、命さえ縮んでしまう方も少なくありません。
制定武術や制定武道は基本的にスポーツの競技種目になります。私は基本的にその中の実戦を考慮している方としか付き合いません。勿論、付き合っても話はきっと一致できないからです。
勿論、武術という名前で必ず実戦の想定の元で行うことは誰が決めたかと言われると、それは古より今日までの人間界ではありえないはずです。世のすべての分野はそれなりに命名方法があり、一定の人間が集まれば一つの種目が生まれます。
しかし、健康の為に行なわれているものは当然のように健康法であり、武術という項目で実戦での解釈が全くできないなら、かなりレベルが低い武術でありましょう。
少なくとも、中国という武術の発祥の地では、制定武術の方々もなんだかの形で武術の本来の実戦を研究しております。
まあ、中国の二流選手の実力もない人間が教えているのならば、その国の中国武術のレベルもそれなりのものになります。
世の中の人間は色々な分野を作り上げては広げていきます。勿論、基本的に互いに干渉することも一大人の行動とは思えないですね。
でも、武術の研究範囲が限られているのならば、他派のものも自派のものと同レベルのように感じてしまいます。
まあ、少なくとも、中国武術の中では、「驕者必敗」という言い回しがありますね。わたくしもこれを座右の銘にしております。
しかし、我々はもうそろそろ中国を超え、世界の中国武術をリードしていけると思っている一部の方々には、このような話は何一つも通じないと思います。
驕者必敗
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