第218話 拝金主義と道徳心
- 2016/03/31
- 01:19

当然、この二つの言葉は反対語のような感覚ですね。しかし、これは完璧な反対語ではないはずです。
言い換えれば、道徳心を持たない人間は必ずしも拝金主義へ走ってしまうとは限りません。
しかし、人間でお金を欲しくないことはまずありえないでしょうね。
拝金も一定レベルまでは常識の範囲であり、人様の利益に対してどれほどに真剣になることによって、拝金主義の意味合いは真っ二つに割れてしまいます。
私は本日、一人の若者より、少々精神的に不安があると言われ、太極拳で精神的に安定を捗れるのだろうかと聞かれましたが、私は太極拳で精神安定までは相当の年数がかかることをその方に告げ、他の方法で精神安定を狙うことをお勧めしました。
まあ、これがわたくしという個人の個性から来るものだと思います。他人に損を被ることは自分に損をすることだと考えています。
しかし、このようなケースで今日の一部の太極拳教室や気功教室の経営者の手にかかっていたら恐らく、どうぞ、やりましょうよ。すぐにでも効果が現れるよとなんとかとりあえず教室に入れてしまいます。
まあ、一都三県の太極拳教室は4000を超えている為、それぞれの太極拳教室はどこも経営が大変ですよ。もちろん、私も同じです。ただ、一人の人間の良心を胸中にしっかりと据えていれば、嘘で商売をすることは絶対にありえないです。
ならば、拝金主義と道徳心は基本的にぶつかることはなく、商売をする資本の質や提供するサービスの中身がいかなるものかによって、人々が真の満足がすれば、商売の道徳心も自然に成り立ちます。
近代哲学的に分析をすれば、拝金主義は道徳心の基であり、道徳心は拝金主義の結果であります。いくら証書や資格を出してもサービスを求めてくる方のニーズに応えていなければ、これは偽りのサービスであることには間違いないです。
こればっかりはサービスを提供する一人一人の良心に任せることしかないですね。
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