第2326話 2022年3月26日
- 2022/03/26
- 12:53

本日は私の父親の二周忌です。父は2年前に私が渡航不可能の時期に自宅で亡くなりました。電話するといつもすぐに出てくれますが、急に10数時間も電話から出なくなったので、私は自分の師父馬江麟と相談をしました。師父は父親の地元の行政と相談して、行政がドアを開けて入ったところ、父は家で亡くなっていました。
自分はそのショックで確かに2週間ほどこのブログを中止したと覚えています。ショックというよりも急に体力が無くなったと思います。
父親の葬儀は二人の従兄弟に任せました。その時、日本の永住者である私は中国に入国できませんでしたね。私は今、中国に入国しようと思ってもかなり複雑な手続きとかなり長い期間の隔離が必要になります。まあ、私は仕事をしていない人間ならば、なんとかなるのでしょう。
父は先日亡くなりました馬海龍先生と同じく1935年の生まれです。同じ年です。あの二人は子供の時から喧嘩仲間でしたね。大人になっても会う度に互いに皮肉して、互いに笑って挨拶して、なんでも話す仲でした。まあ、あの二人はあの世でも大喧嘩にならなければよいですね。でも、心配はしていません。あの二人はいつも、直ぐに仲直りしていましたね。
父は音楽家でした。あの時代では珍しくオペラの歌手を務めていました。彼の歌の弟子は今でも母国ではかなり活躍しているようです。

彼はかの動乱の時代で色々な理不尽な理由で投獄されました。彼は更に牢屋の工場で左薬指を無くしていました。もちろん、彼は牢屋の工場で色々な技術も身に付きまして、工場のインジェニアまであと一歩のところまでの資格を取得しました。
父は当時の工場では重労働も沢山しましたね。当時では、工場にホークリフトもない時代でしたので、色々な思い荷物や加工部品もほぼ人力で運んでいましたね。その為に父はかなり若い頃から圧迫骨折になっていましたね。梅雨入りの頃はいつも腰が痛いと訴えていましたね。医者のアドバイスでは常に歩行やストレッチをしなさいといけないそうです。彼は近くの山にも行って、懸命に体を動かして、なんとか圧迫骨折と戦っていましたが、コロナで家から出なくなってからは急に状態が悪くなりました。父が亡くなってから親友の一人から連絡があって、彼は警察の死亡推定時間の1時間前に父とネットでチャットをしたと言っています。警察の見解は老年性の多臓器不全になっていますが、父は晩年、腰椎がかなり曲がっていましたので、突発的に血液が脳に回らなくなったことも考えられますね。
人間において、死は時々急に潜んできますね。
こうなると養生は太極拳だけではなく、一人の人間としての全方位の心身に渡るケアが必要です。
多くの方が幸せな人生、幸せに最期に向かうことを心より願っています。
そして、本日はこの場を借りて、多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りさせていただきます。
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