第248話 恵根と悟り
- 2016/04/28
- 00:45

恵根は仏教用語です。来根とも言いますが、儒教の影響をかなり受けている日本ならば、悟りという言葉をよく使われています。
太極の世界の中でも、一定のことが理解できるようになると「懂勁」という言葉をよく使われます。もちろん、懂勁」という言葉は太極拳の基本的な理論や動き方が理解できるようになるもありますが、実際に人と手を合わせる際に太極の微妙な感覚の修正が悟って行くレベルのことも「懂勁」と言います。
「懂勁」は一つの到達点ではなく、あくまでも一つのレベルのことを申します。そもそも、太極の世界では一つのレベルが存在するものの、一つの単純な用法は成り立ちません。言い換えれば、用法も太極勁が一定のレベルまでに達している状態ではなければ、決して使えるものではないはずです。
本日は午前午後のレッスンだった為、色々な社会地位の方と一緒に太極拳の練習をしていました。主婦の方から大腿部と小腿が骨盤の動きに従って動けば、足が所定位置になる発見を私に告げました。私はこの学んでまだ半年しか経っていない方の恵根の深さに感銘させられましたね。太極修練は一部の方と切っても切れないご縁で繋がれていると言っていたのは、他ではなく馬岳梁先生でした。今日になって馬先生がこの世を去って18年も過ぎた今日に日本人の一般人が太極とのご縁をこのようにつながっていることは私へのこれ以上にない励ましいでありましょう。
午後のレッスンでは、弟子入り志願者の者と一緒に練習をしました。その若い方の口からは、足を高く上げるとなんとなく骨盤の無理を感じているとの報告があったのですが、私はもう少し足の高度を下げれば、骨盤や身体の他のところの無理な張りがなくなると告げました。初心者にとっては太極修練の中で少しでも無理をするだけで動きを止まったり、双重をしたりして太極拳の一番のタブーになってしまいます。無理な動きから来る体の張りなどを懸念することは、太極懂勁の一つのレベルになります。
太極修練は自分自身の一番弱いところを無理なく徐々に修正して行くプロセスであります。理解と修正の中には沢山の段階の細かい「懂勁」レベルがあり、一個ずつ無理せずにクリアできる人間だけが最上級の太極勁にたどり着くことができます。
皆様と共に修行をして参ります。
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