第249話 靠と顕
- 2016/04/28
- 23:56

本日もいつもと変わらなくレッスンづけでした。門下弟子の一人は太極勁の靠について尋ねたのですが、私の研究会では、靠を使うというよりも、どの時点でどのポイントが相手の一番弱い状態であるかを読むことになります。もともと、「四両抜千斤」を基本にする太極拳の発勁はいつ、どの時点に発勁するのか、そのポイント、どの角度から入るのかは、かかった相手としてはわからないはずです。
靠などの爆発的な勁を普段の練習の中で使うとどうしても危険が伴うわけですが、毎日のように修行を続けている弟子のことですので、わずかに試してもと思い、靠勁を二割ほどを使って試したら、数メートルは簡単に飛ばされましたね。まあ、当の本人はびっくりでしたが・・・
ところで、次に一人の弟子入り志願者がこのような質問をしました。「靠の一瞬は顕でよいでしょうか」と、確かに、靠勁の際の顕は隠よりは若干の先行状態になります。靠は相手の一番弱いところに渾身の一撃になるとの解釈が一般的でありますが、高級段階の靠はほとんど触っていない状態での一撃も可能です。こうなれば、隠の割合も自然に上がっていきますが、一瞬一瞬の顕と隠の割合は相手の一瞬の外観の重心の内面的な勁路の状態によるものです。これは自らの内外の自由度によって、電光石火のような速さで瞬間の顕と隠の割合を算出し対応できれば、すべての太極勁も簡単に使えるはずですが、この一瞬の相手との関わり方が逆に太極拳という武術の最も難しいところです。
太極拳で健康維持ならそんなに難しいことではないはずです。太極思想の基本になっていない太極拳も一定のスポーツ効果があり、無理な動きをしなければ体もきっと健やかになります。
しかし、太極拳を武術として修練する場合はかなりの努力が必要です。勿論、武術は続けることは当たり前です。これは、世界のどの格闘技も同じです。太極拳はまた、感覚の武術であり常に相手の色々な内外の動きを読み続けることが大切です。
このように、当研究会では、皆様の太極的な感覚を磨き続けております。皆様の参加をお待ちしております。
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