第2450話 2022年7月26日
- 2022/07/26
- 14:47


連日、写真の話題をしています。太極を期待されている方はきっとがっかりされていると存じますが、しかし、色々な意味で芸術を語るものは基本的にかなり老壮思想に触れるわけです。かつての中国の画壇では二人の巨匠がいて、鳥を描く時にはかなり議論があったようです。一人は、鳥を描くならば、その鳥が鳥に似ていないとその絵の価値もなくなると主張しますが、もう一人の巨匠はいつものように、鳥を描くなら鳥に似たらどうしようと、つまり、鳥に似ていない絵を描くのが当たり前です。これは、写真は写実であるべきか芸術であるべきかという欧州ではかなり議論になっているテーマです。
ところで、はっきり申すとどんなに凄いカメラとレンズで、どんなに凄いテクニックで撮影された写真ですが、人間の目でみた風景と同等のものにはならないことが一般的に知られています。これは、簡単な実験でできますね。著名写真家の写真と人間の目で見た風景を比較すれば、その差は歴然です。世には色々と三次元の画像が研究されていますが、我々の目で見た三次元の画像とは別物ですね。我々の動画や静止画は、平面で立体の画像を表すものですが、画像も動画も作られた空間です。絵を描く紙もCMOSセンサーもあまり変わらないですが、人間の網膜で記録された空間のデータは、脳の調整も入っていて、本当に凄い画像になりますね。人間の目、人間の像はかなり完璧に近いものです。
自分の見解ですが、人間の目で見るものと違った写真や絵は当たり前です。よって、写真は絵に似ているならばこれでよいです。若干のピンボケも人の見方によっては作品であっても全くおかしくありません。日本の写真コンテストは基本的に主催者の採点する人間の倶楽部などではないとなかなか入賞できません。海外のコンテストはアマチュアの誰でも入賞が可能です。日本は何かの組織ができると必ず仲間的な狭い範囲での経営になります。昨日も実は異なる分野での対談がありまして、おやおや、どこの協会も似ていると皆が感じましたね。
真の芸術は、人々がよいならばそれでよいです。
真の芸術ならば、プロが見ても、一般人が見てもいずれは認めるようになります。
つまり、真の芸術はいかなる見方、審美感、学歴にかけても問題ありません。

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