第2481話 2022年8月26日
- 2022/08/26
- 13:41

少し問い合わせが来ていますが、私は最近、太極についてあまり語っていないです。多分、一般的にはネットで太極のテクニックとかを沢山語っていれば、その人もかなり人気が出ますが、私は語ったとしても太極勁のことが多いですので、はっきり言って分かりにくいですね。そして、ネットで私が語っている太極勁に対しては一時は毎日のように色々な議論が起きていましたが、どれも中途半端な見解になります。つまり、分かりやすく言えば、自分の見解は理解されていないですね。それもそのはずです。自分が練習しているものは世の中のいわゆる太極拳教室とまったく異なる内容であり、自分がネットで説明している内容も当然、世の中の色々な見解と違います。このようなまったく違う内容に議論を引っ掛けること自体がおかしいですね。
そして、最近は確かに、コロナや社会問題などを語っています。これも私は太極として語っていることを悟った人はおそらくいないでしょう。太極は天地万物のことです。太極を語るには社会を語ってもまったく問題ありません。より良い模範的な社会は太極の理想状態に近いです。太極を研究する人、道を研究する人は社会も当たり前に研究します。もちろん、一個人としては社会を変えることも政治を変えることはあり得ないことを知っていながらも、昔から道を学び研究続ける者は政治にもかなり敏感です。ですが、政治にはまったく歯が立たないので、「無為無争」思想が徐々に道を研究するものの中で広がってきました。太極拳創始者の張三豊はとある皇帝が即位するとかなり長い間に寝てしまい、なかなか起きようとしなかったです。その間、食事もしなかったとか、何故か幸いなことに例の皇帝はかなりの短命皇帝で間も無く他界したそうです。その時は張三豊は寝床から急に飛び上がっては、お腹空いたと大声で叫んだそうです。そして、かなり大きい桶で食事をしたとも言い伝えています。
異なる角度からすると、自分が普段、教室の中では太極の用法なんかはほとんど教えていないです。と言うよりも、対局は用法がないわけではないですが、少なくとも、世の中みたいな用法ではありません。太極の用法は少なくとも自身の体で相手の攻撃をどれほど捉えられるか、自身の体でどれほどに相手の攻撃を吸収できるのかではじめて太極用法が成り立つ原則は、今の世にはほとんど知られていません。はっきり申しますと、どんなにネットで説明しても、一緒に練習しない限り、太極勁への理解は困難だと思います。
でも、自分は太極勁についてはだいぶ話している自覚がありますね。私は自分が幼い頃から学んできた体の動かし方を出来る限り教え、ネットでもできる限り説明してきましたが、これからは、太極という言葉は人間の体をいかに大自然に見立てていて、人体と社会の関連性から来る太極への見解をより分かりやすく語りたいと考えています。
太極勁は一人の人間の状態を徐々に変えていく訓練です。一発対一発の初歩的な格闘とは異なります。対局は武術ではないと言っている人も多いです。がしかし、昨今の中国のネットではいかなる見解もコピペが多く、実際に太極を練習していない人がネットで凄い巨匠の口調で色々なことを語っています。これは、自分が最も心配していますね。太極を練習していない、なんじゃら太極拳も実際にまったく練習していない人が巨匠の口調で太極を語っていますと…いい加減にしなさいなと…
日本は中国とかなり違って、今は5チャンネルで誰々が日本一強いとでも言えば、それを鵜呑みして適当に信じるケースが多いですね。まあ、それぞれがそれぞれを教えをしていれば、それは何もないはずです。しかし、一部のネット太極拳愛好家からメールが来て、「沈先生、✖️✖️呉式太極拳の先生と沈先生の誰が強いとか、どちらが本物だとか、沈先生は✖️✖️先生はご存知ですかとか…」
あのね、呉式太極拳と言っても練習している内容はまったく違いますね。これは日本武道も同様。私が拝見しているとある日本の居合道流派の動作ですが、教室の数ほどに動きが違います。しかも、この門外漢の私が拝見してもわかるくらいです。
今の世の中はもはや、武術と武術、武術を教える人間同士の比較は意味がないと思います。皆様、是非ともご理解いただければ幸いに存じます。

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