第2483話 2022年8月28日
- 2022/08/28
- 00:42

昨日は、太極修練者が一定の年齢になると師匠の皆は自然とこの世を去ってしまう悲しい現実を言及しましたが、実際に自分はかなり長い間に師匠が不在状況で練習しております。もちろん、相談する人はほとんどいない中で、自分は結果的に太極を一人で練習しております。当然、今になれば、自分は生徒や弟子にもしっかりと説明をしていないと教室も中々成り立たないわけです。昨今では、色々な太極拳教室がコロナや社会全体の色々な不況で閉鎖されて、その生徒が他の教室に流れてくるような話は沢山伺っておりますが、自分は、自分のところに流れないようにと心を込めて祈っています。何故かというと、他の教室で教わった内容は当方が教えている内容とかなり異なりますね。太極拳の世界では今日になると教室の数ほどに見解があると言われています。自分は今になって、多くの方に生涯一つの太極拳教室を勧めたくなりました。まあ、慣れている教え方ならば、それではまったく無関係の異なる見解に慣れる必要がありません。太極拳教室はさんざん変えると本当にストレスが溜まると思いますね。
そして、これは多くの太極拳教室の中でこのような考えはもしかして自分だけかもしれませんが、伝統文化として学んでいく太極は商売ではないと感じています。私がお金を貰っているから、私は色々なサービスをお客様である会員さんに提供するとか、私が会員さんに色々なご機嫌でも取って、会員さんが喜ぶように適当に教えることはどうだろうかと思いますね。
文化は適当に変化するものではなく、文化はお客様に合わせてお客様のわがままで決められるものでもありません。私のところには、東京に住んでいて、電車で私の教室までは10分程度の道のりの人が月一回のレッスンを希望されたのですが、断っていましたね。さらに、自分は他の太極拳教室ではこのように月一回のレッスンは許されたと主張されたのですが、自分は、ではその教室に通ってくださいとお願いしましたね。自分は青森とか静岡、名古屋や大阪、北海道などの希望者、中国上海の希望者には月一回くらいのレッスンを許しております。東京都や首都圏の方は普通に月4回のレッスンをお願いしています。文化を勉強されるならば、より沢山のレッスンが望ましいと感じています。
文化とはなんだろうかと、これは自分が近代の多くの中国人に伺いたいことです。はっきり言って、私は今の中国大地では文化が徐々に消え失せている事実を感じています。一部の富裕層はなんとか伝統太極拳の先生と話し合いをして、月謝は年のはじめに年単位で支払ってしまい、実際に教室に来られるのは年間何回だろうかは数え切れるわけですが、伝統太極拳を教える著名人の巨匠は、生徒さんがまったく来なくても特に問題にもしていません。これでは、本当に文化としての太極を教えたのかどうかは、私は本当に疑問に思いますね。
そして、私が一番の疲れの原因になっているのは、人様の教室に来て、ああでもない、こうでもない色々とああしろ、こうしろと、色々な無理の注文を出すタッチの悪い人です。本当に、どこの国も非常識な人がいます。レストランとか、コンビニエンスならば、客が無理な要求を出されれば、オーナーは大体なんとか我慢して合わせたりしますが、文化を教えているところに色々な無理な要求を出すことはどう考えても言語道断でしょう。今後は、もう少し長生きをするために、このような偉いお客さんを退会願いをすることも考えています。会員さんを失うことはかなり辛いことですが、自分の寿命のことを考えると、それも仕方がない話しですね。

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