第2493話 2022年9月7日
- 2022/09/07
- 09:43

本日は白露です。中国の言い回しでは、「白露身不露」とのい方があります。つまり、今日からは家の中でも裸にならないようにと、まあ、大変ですね。昔の中国はかなり暑くて、しかし、エアコンはありませんでしたね。自分が来日の頃は中国上海のエアコンの普及率はかなり低く、誰かがエアコンを購入して使うとそのご近所の人々にはかなり嫌がられますね。エアコンは外に熱気を出すからです。もちろん、今にたいにどこの家も簡単にエアコンが買えるならば、このような悩みはなくなります。
昨日は、気について少し話しましたね。つまり、どのようにして気を練習すべきかと、もっとわかりやすく言えば、太極拳の練習も、一人の人間の生活も同じく、気の練習は結果的に無理のないようにすればよいです。脳が空っぽであれば、人間の気は動き始めます。人と付き合う時は自分の性格を隠しておくべきです。色々な葛藤を考え過ぎないでください。通常の呼吸に囚われ過ぎないようにしましょう。人と交流し沢山の話し合いをしない。これらが守れない人は自分自身の内面の力がいつ動き出るのか、自分の至聖所にある最高の内勁はどちらに隠れているのか、自分の内勁はどのように動いているのか、自分の人間性はどのように養われているのかを悟ることができないでしょう。と…
昔、どうを研究する人は一定の気の訓練になると確信しています。もちろん、このような人間の独特な状態を守って太極を練習すれば、人間の気はだいぶ変わると言っています。もちろん、実際にの生活ではかなり激動な社会の中にあるとしたら、太極を練習している時も実際にこの状態に近いとしても、人間の体が急激に変わることはなかなか望めないです。
自分の師匠のことを常に思い出しています。馬岳梁先生は誰とも口論することがないですね。弟子を教えていて、そこで、弟子が異論を唱えると先生はもう基本的にその時点で何も教えないことにしていましたね。もちろん、質問ではなく、口論する弟子は師匠を信頼していないことになって、基本的にもう教えることがないですが、馬岳梁先生はさらに、誰かと口論することは自分自身の内面的な修練にマイナスと確信していました。
道を研究して、道の生活をすることは近代の人々にとってはかなり難しいです。武当山ですが、インタネット回線も引かれています。道士の皆様はiPhoneからかなりお高いMac Proまで全部揃っていますね。昔の何もなく、修道者同士はほとんど交流もしない世界ではありません。
近代の人は太極の練習には簡単ではありません。太極は古代の生活がベースにあればベストです。

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