第2512話 2022年9月26日
- 2022/09/26
- 11:38

太極勁の難しさは近代の人々には中々通じません。近代の色々な解釈は、筋トレすれば内勁が上がるとか、この人はかなり重い剣を普通に振っているので、内勁が強いとか…このような言い方は呉式太極拳鑑泉社の今日の色々な授権点や教学点にも広がっています。まだ、虚実の全体的な感覚も把握していないのに、一部の人は自分ではかなり馬岳梁先生に近づいたとかの適当な言い方で自分達の強さを主張しています。更に、一部の人間は馬岳梁先生と練習したことがあるだけで実際自分達はもう真理を掴んでいると勝手に妄想していますが、太極勁はレールから外さずにして数十年の厳しい訓練が必要です。少しだけでも自分自身の勝手な推測はすべてをダメにしてしまうことは、ちょうど太極拳論の最後に言及していた「本是捨己從人、多誤捨近求遠、所謂差之毫釐、謬之千里…」になります。
太極は元々、各流派の家の中では本当に宝物のように預かわれています。つまり、適当に誰にでも教えるものではありません。よって、世の中の色々な巨匠はあり得ないです。つまり、本当の太極の正しい訓練法はそんなに誰にでも教えていないはずです。そして、私ですが、この9年間ではできる限り保留しなくて教え続けていますが、理解できない人も多くて、無視する人もかなりいて、そして、適当に理解する人は当然いくら練習しても結果が出なくて、まあ、これは、当たり前の太極の凄さだと感じています。
本当に真面目に太極を練習していて、しかし、結果が出ない人がいます。自分の弟子の中で10年近く練習して来た人がいて、昨日の練習ではお腹が膨れる結果に至りました。これはもう相当容易ではないことですが、昨日は自分の練習して2年しか経っていない弟子がなんと同じくお腹の膨れがあって、しかも内面の力が骨と骨のリレーのような動くが出ています。これは、悟りですね。自分もこの状態まではまる4年間はかかりました。自分は、先代の馬岳梁、呉英華が教えていたのですが、短期間で太極勁の感覚が出ることは人間の悟りと素直さが原動力です。
静心静意。脳自体がかなりの静けさに預かり、日常の残像のような意識が感じてはいずれ、その残像的なものも消えていくと、そして、自身の体にいかなる意図的な意念をかけないままで体を動かして、太極拳の練習に没頭できれば、太極勁には近くなります。

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