第2550話 2022年10月30日
- 2022/10/30
- 12:04


私は太極が武術でもなく、格闘技でもないと言い続けています。これで私は多くの武術家や格闘家からするとかなり弱い人間になります。自分は基本的に制定太極拳の界隈とは関係ないですし、日本の伝統武術とも基本的にお付き合いがありません。少し前ではお酒の付き合いがまだあったのですが、今は飲める量もかなり減りました。もはや、飲んでいないと言っても過言ではありません。お酒は、本当は自分自身の体にあまり合っていないような気がします。100万円一本のワインも私はコンビニエンスのワインとの差はほとんどわかりません。最近になって、自分はお酒を飲むとなんとなくアレルギー反応も現れてきたようです。
それなりの年で自分は何かをしなければなりません。昨日、自分の米国にいる親戚は84歳で亡くなりました。あの年齢で計算すると自分はあと24年ですね。人は誰でも死ぬのが怖いはずです。私は寝たままで徐々に死が近づくことを一番恐れています。もちろん、人は誰でも命がなくなることから逃れません。太極を自分の命のために練習すると言っても過言ではありません。少なくとも、私はこう思いますね。
スポーツや格闘技の怪我は絶えないですが、太極を少しでも格闘技や体育のように練習していれば、太極拳の怪我も避けられません。スポーツは自分自身の体に無理な負担をかけなければ、スポーツも一定の養生効果があります。負担がなく体を動かしていけば、太極と異なる効果の養生もできます。無理して、体を動かさないことですね。今は自分で体の状態を大きく変えないようにして、少しでもお腹を収縮する運動をしています。私は基本的に食べない状態でのダイエットはいけないと思っています。
乳幼児の頃、自分は諸事情で母乳もミルクも、牛乳も飲んだことがありません。放射線検査で腰椎が一本足りないこともわかりました。中国にいた頃に上海中医学学院の学長の診断では、母親が妊娠中に栄養不良がはっきりしています。自分はこう考えると一種の特別な障害者と言っても過言ではありません。
人間は誰人も完全な健康状態を手に入れることができないはずです。武術の専門家は自分自身の武術への誇りは武術家の誰でも持っているはずですが、プライイドが高すぎると、武術の進歩の妨げになり、無理な練習をすれば健康維持にも悪影響が出ます。これがわかる人ならば武術の真の奥深さがやっと理解できるようになります。
教室では今、老若男女が練習しに来ています。太極は芸術だと私は解釈しています。武術の効果も格闘技の効果もあります。太極という武術はそれなりにすごい武術ですので、武術として使えるまでの時間も当然長いです。
健康維持のためも練習しています。よろしければ、一緒に練習しましょう。

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