第2597話 2022年12月16日
- 2022/12/16
- 09:57


彼頂吾収 彼丢吾補 方為捨己従人
吾頂丢微於彼 吾出手隐於彼 方識収補
呉鑑泉太極探密の言葉です。これは、捨己従人とは何でしょうか。吸収とは何でしょうか。相手の隙に対してはどのようにして埋まっていけるのかと、どのレベルの吸収、手先だけではない棚勁の説明は今日の太極拳をすべて個々の動作として解釈する見解とは別物です。
もう少しわかりやすく言えば、太極は自身のより豊かになった全身の虚実で限りなく相手の動きのすべての瞬間を捉えていくものです。よって、太極は基本的に攻撃も守りもなく、太極修練者の最終目標は全身全霊による不頂丢です。
なんか、わかりやすく言ったものがますますわからなくなってきましたね。
それはそのはずです。ネットでブログで本来ならば太極の感覚を伝えることは無理です。一緒に練習しないと太極の感覚はわからないと思います。このような太極の感覚を求めて、この10年間では北海道、青森、山梨、静岡、大阪から会員さんが通っています。私は不定期ではありますが、教室の4年目から北海道中国武術倶楽部の出張レッスンを続けてきました。
太極の感覚は徐々に多くの方の心身に根付いてきました。もちろん、これは色々な太極や武術の固定観念との戦いになります。
呉鑑泉先生の言葉ですが、太極には確かに頂はいけませんが、しかし、例えば、相手さんは頂の状態が一瞬現れてしまい、こちらの収が遅れたのならば、相手の頂だってもちらに勝てると言っていますね。彼微動、我先動くらいの全身の一気貫通した虚実がない限り、収は頂に負けることがありますと…捨己従人も論ずるべきではありませんね。
太極ほどに自身の体の自由、つまり内勁の練習する武術は他にないと思います。
太極はいかなる用法もまったく考えないほどに内勁練習に専念します。
呉式太極拳 募集しています。ブログの目的は教えることではなく、募集です。
歳末は28日の水曜日まで教室があります。月曜日、火曜日、木曜日、日曜日は見学可能です。

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