第2663話 2023年2月21日
- 2023/02/21
- 09:06


爽やかな朝です。なんとか税理を片付けて横になって、なんとか夢を見ました。まあ、同じ夢、同じ顔ばっかり見ていました。
昨日は色々と反省して、ブログの閉鎖も考えていました。
朝になって、何故かいつもタブレットに向かっています。とりあえず、書こうと考えました。
自分は今後、自分が遭遇した嫌なことや批判、自分の鬱憤ばらしはブログで書かないことが大切と思いました。というか、何度も書く度に失敗しています。ブログはこの10年間でできる限り毎日のように書いていますが、書き方を注意すれば、ブログは書ける範囲で続けて行こうと今、この時点ではこの気持ちです。
昨日は色々と相談しましたが、一人の方は私が書くものがなくなってきたと推測されました。はい、10年も書けば書く者は自然になくなります。
もちろん、太極をかけは本当は無限にかけますが、しかし、太極練習すればするほどに難しくなりますので、結果としてネットで多くの方が理解できないものを書いてもどうしょうもないことになります。
となって、適当に書いてしまえば、どこかで人様のプライドに触ってしまうことは、今朝になってこれはありうるだろうと思いました。
私は怒った方に対して陳謝いたしました。許されるか許されないかは私が決定権がありません。許されても許されなくても、とりあえず、今日とう一日はスタートしました。
自分も色々な個人や出来事が許せません。自分が許される贅沢も持っておりません。今書いていることは特にキリスト教とは関係ありません。今日のブログを読まれてくれる方は是非とも誤解なさらないようにしてください。
どちらかというと仏教的な考えです。
数学者で詩人の高野喜久雄先生は、「水のいのち」という詩でこのように書いています。
降りしきれ 雨よ 降りしきれ すべて 立ちすくむものの上に また 横たわるものの上に
降りしきれ 雨よ 降りしきれ すべて 許し合うものの上に また 許し合えぬものの上に
降りしきれ 雨よ わけへだてなく 涸れた井戸 踏まれた芝生 こと切れた梢 なお ふみ耐える根に
降りしきれ 雨よ そして 立ち返らせよ 井戸を井戸に 庭を庭に 木立を木立に 土を土に
おお すべてを そのものに そのもののてに
立ちすくむものにも、横たわるものにも。 許しあうものにも、許し合えぬものにも。 そして・・・すべてをそのものの立ち返らせよ。
この詩は学校の時に合唱を練習した方ならばきっと歌ったことがあります。作曲は高田三郎先生です。
しかし、詩人高野さんは色々な方面の方より批判を受けました。本当に色々な異なる批判です。しかし、本当に詩人が書かれている通り、一雨降れば、どんなに批判をした者も、批判された者も、成功した者も、つまらないことで失敗した者も元通りに戻されるというか、流されるというか、普通に潤されるというか…立っている者、倒れている者、許しあえる者、許し会えないものはいつの時代も存在します。最後の、すべてをそのものの立ち返らせよ、というところはただの願望、詩人のお望みです。
もちろん、これは詩人への批判ではありません。すべてをそのものの立ち返らせよ、っていつの時代もどこの国も実現できたことがありませんし、これからも実現できません。
昨日は40代の独身の知人がおそらくいつかは孤独死になると言い、そろそろ、終活だと言っていましたが、私は結婚して我々も、配偶者と同じ日に亡くならない限り、残っている奴は誰でも孤独死する可能性があると申しました。
私達はこんなに自分の周りや自分が置かれている環境を変えられないわけですので、悩んでいたらどうするのかと、私は今、この時点で自分自身に声をかけています。このように声をかけることしかできません。
一日のスタートです。ブログは本日、40分かかりました。
仕事です。仕事は文字通り、日本語では仕える事とあります。それは、あなたも私も、すべての人も、そして、お給料をもらっていない人も仕事をしています。
一日のスタートです。私は今日も、自分のお給料のために働きます。

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