第273話 慢架と快架の内面的な違い
- 2016/05/21
- 22:46

呉式太極拳には慢架と快架があることは今日の日本でしたらおそらく、一般的に知られています。三年前に私が呉式太極拳研究会を立ち上げた頃では、快架が私のでっちあげではないかとの疑いにもありましたね。まあ、幸いなことにその当時もすでに馬岳梁先生の快架がすでにYou tubeに上がっていましたし、日本武術太極拳連盟の伝統拳術という種目の中でも関西方面の方が当家の快架を披露していました。まあ、当時の関東の所謂伝統太極拳の界隈では日本の制定太極拳をかなり馬鹿にしていたことは事実です。当然、狭い視野で伝統太極拳を解釈してしまうことも仕方がないですね。
私が呉式太極拳研究会を立ち上げてからも呉英華先生と馬岳梁先生の色々な動画をYou tubeに上げたことで、アジアから欧州までの色々な方より関心度が上がりました。勿論、呉式太極拳の快架の信憑性も上がって参りました。今日では私の教室ならば太極拳の先生から民間人の会員さんまで、多くの方が呉式太極拳の快架を修練しております。
快架太極拳は勿論のように、その動きを見れば外観的な違いは一目瞭然です。しかし、人間の内面的な部分では何かの変化があるかどうかは中々、理解されていないと思います。快架太極拳は一般的に、発勁や跳躍、空中の連続動作などが含まれます。よって、一瞬に体を止めることは避けられないですが、人体の内面的な分析からすると、人間は一瞬でも体の動きを完全に止まることで硬直度が急に上がります。これだけではなく、人体は体の一部でも止まってしまう場合でも、体全体のパーツのほとんどが動いている状態よりも硬直度が高くなります。まして、発勁で体が全体的に止まってしまうならば、硬直度が上がってしまうことは当然です。しかし、本来なら、太極拳は体が止まった時点で普段よりも力まない状態ではないと相手に致命的な一撃を与えることは有り得ないです。これは、中国太極拳巨匠の陳氏十六世陳照奎老師よりも伺っております。
逆に、違う角度から分析をしてみると、太極拳の慢架は本来、体が常に動いていることが基本中の基本であります。勿論、慢の中でも体全体のほとんどのパーツが動いている動作と体の一部分の動きが動いている動作で別れています。当然、体の一部分だけを動かすことは硬直度も上がります。結果的に硬直度が上がれば、太極拳の意による動きの質が下がります。そして、数年にわたっての慢架練習をしなければ、完全に体を止める動きが含まれている快架練習は相応しくないと言う結果になります。
更に、本音を吐かせて頂きますと、制定太極拳の足を上げた時の定式を一秒ほどに止まることは、修練法によってはかなりの高難度の内勁修練法になります。勿論、今日の世界のほとんどの制定太極拳分野で言われている体に力を込めて一瞬の人体美を表すことは、動きを止めた際の内面的な動きを止めてしまうことしかなりません。言い換えれば、「勁断意断」であります。日本に翻訳すると、体の動きも止まって、太極拳の内勁も止めてしまうとのことになります。逆に申すと制定太極拳を僅かに修練法を変えれば、本格的な太極勁の習得も可能です。
本日の本題に戻ると、快架太極拳は内勁修練を止めてしまえば、太極修練の本来の意味もなくなります。一般的な慢架でも微妙に内面的な動きを止めてしまうならば、腰痛や肩凝りになることも有り得るでしょう。人間は内的動きがおかしくなれば、体全体のバランスが崩壊することも避けられません。
皆様の増々の健康体と、著しい武術の進歩を心より願っております。
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