第280話 身。在身、則不知手之舞之、足之蹈之。
- 2016/05/28
- 12:02

太極拳論に対する解釈は実に様々ですが、それはその人の実際の修練によって違ってくるはずです。逆に、練習もほとんどしない人だったらまったく頓珍漢な説明になりますし、体の機能的なことばっかりされるのならば、当然のように本日のテーマのような結果になります。
言い換えれば、太極拳を体の筋肉の発達や美を見せる為の人体機能の練習にしてしまえば、手足が太極の為の動き方を知らないとのことになります。
実際の太極拳論は次にこのような文書が綴られています。所謂「一氣呵成」、「捨己從人」、「引進落空」、「四兩撥千斤」也。これは所謂、身。在身です。
私がいつものように会員さんに申していることであります。手足が機能として動くのではないし、脳の支配の下で高難度の動作を練習する目的としないことです。
そうすれば、すべての技が知らぬ間に展開され、主動的な動きを捨て、「引進落空」、「四兩撥千斤」の境地に至るとのことです。
太極での誤解はいつものようにこう言う拳論から来ます。サラサラと軽く書いていますが、実際に「一氣呵成」、「捨己從人」、「引進落空」、「四兩撥千斤」は何かの一つの動きで解釈できるものではありません。もちろん、太極勁も何かの難しいトーロではありません。
太極は本来、一種類の気功です。しかし、この気功は今日の世界の99%以上の気功術と違い、人間の体をパソコンのリカバリーのように本来あるべき状態に戻す作業です。
よくわかりませんが、もしかして数万年前でしょうか。数億年前でしょうか・・・太古の人間の体の状態が非常に良かったです。近代人は確かに脳が高度に発達しましたが、身体機能がかなり脆くなりましたね。
少しでも本来の人間に戻る作業を多くの皆様と一緒になって執り行っています。ご加入、お待ちしています。
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