第281話 十周年の感覚
- 2016/05/29
- 22:24

本日はわたくしが太極拳おを教えている北海道中国武術倶楽部の十周年記念の日でございます。昨日に新千歳空港から札幌へ移動の際にこの倶楽部の館長さんに、十年という感覚は短かったのだろうか長かっただろうかと尋ねたところでは、意外と長いとの回答が返ってきました。その意外は、わたくしが三年経ったところでの感覚は本当にあっという間から来るものです。勿論、わたくしが十年になった際の感覚は三年の今現在の感覚と同じか違うかは、十年になってみないとわからないですし、私はあと七年も生きていられるかどうかは本当に神様しかわからないことであって、北海道中国武術倶楽部の館長様が起業された年はおそらくわたくしとほとんど同じことでの十年の記念日を迎えられたことは本当に喜ばしいことの限りだと思います。
しかし、人間は一年でも続ければ、すぐにつまらなくなることはほとんどですね。特に、近代人の方です。私は若い頃に日本に来ていましたが、はっきり申すと一つの仕事は一年位でも続いていたらどうしても愚痴を溢したくなりますね。回りの日本人の若い方もどちらかというとこのような傾向がありました。当時では、わたくしが長く務めていた清掃業にも時々、若い方がアルバイトをしにきますが、何故かすぐに来なくなりますね。とうとう、清掃会社に残っているのは割合に年を取られている方と留学生でしたね。このような過去の傾向と関係あるかどうかはわかりませんが、今日の清掃会社は一定の年齢に達していない方は基本的に採用しない暗黙のルールもあるようですね。
私はどうだろうかというと、日本語学校で日本語一級能力試験に対応する為に日本語の文法や熟語、言い回しを懸命に勉強したところで自然と「石の上にも三年」という諺が好きになりました。若いわたくしも多くの若者と同様に色々な新しいことに興味を示していましたが、三年位に続かないと一つのことの楽しみ方は決して理解できないかと思っていましたね。これは、おそらく太極拳のおかげだとも思っています。実際に、日本で就職した頃の私はもうすでに太極拳の練習を二十年近く続いていたわけでした。当然、一つのことを長く続くことの大変さと楽しさも当時の若者よりはいくらか理解していたはずです。それでも、たまたま入社した会社がどうしても人間関係が格別の複雑だと、ついつい一年経ったところで辞めたくなった記憶はいまだに残っています。まあ、その当時は仕事を見つけることはまだ割合に簡単でしたね。
ところで、人間が一つのことに没頭し続けることの本質的な難しさはどの辺にあるのだろうかと思うと、私はいつものように深い困惑に陥ります。
まずは、医学や人間学の専門家の間で言われ続けているとは、人類が遊び好きな動物であることでありましょう。哲学的な理屈では、遊ぶことが人間の集中力を分散させてしまうことが上げられています。しかし、遊ばなければ人間はいつものように仕事やその他の一つのことに集中させられるという過度な負荷によって、身も心も壊れてしまうことが多く発生しています。かと言って、毎日のように遊んでいるのならば人間はどうなるのだろうかというと、これも実は多くの専門家の研究でかなり健康を損なってしまうことがわかりました。
ああ、人間はいつの時代からこのような弱い者になったのでだろうかと思うときっと、多くのの医者ががっかりしています。考えてみるとこのわたくしの小さな太極拳研究会でも今日でも医者の方が3名も在籍をしているようです。これはおそらく、少しでも人間の今日の体の現状を少しでも改善できればという出発点から来るものだと確信しております。
10年間の感覚というのは、体力がかなり落ちた感覚になるに違いがないでしょう。私は40歳を過ぎたところでは年単位で体力が落ちるとの感覚が目立ってきました。もちろん、これは50歳を過ぎると加速化されていくのも避けられないでしょう。今年の元旦にはとうとう、若い頃に愛用していた18キロの鉄槍も処分致しました。理由は使えなくなったからです。しかし、体力が落ちたことで実際の太極内力はどれほどにあがったのかは本当にたかが知れていますね。
10年間の歳月は太極修練の中では本当にあっという間だと思います。そして、10年の歳月でどれほどの太極勁が習得できるのかというと、答えはほとんどないとしか言えません。これは、私が中国太極門の色々な老師から得た答えでもあります。実際に私が10年前に太極勁路と変わったのが自分自身でも中々わからなくて、逆に久し振りに合っていない方と推手をすれば、勁路が大分違ってきたことが告げられます。勿論、わたくしも相手の方の進歩を感じます。
10年の感覚は人によっては大分違うはずですが、それぞれの10年を大切にしていけばよいかと思います。
長くても、短くても10年です。共に頑張りましょう。
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