第2931話 2023年11月16日
- 2023/11/16
- 12:33


子曰:朝聞道,夕死可矣。
確かに「岩波文庫」では以下のように読み砕いていると記憶しています。
「子の曰く、朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」
これは、自分は何度も中国語のままであげてブログを書いたことがあります。
実際のところ、当時の孔子は二人の弟子に先立たれて、相当の悲しみに落ちいていました。自分より若い人が先立たれると人は誰もが深い不安に陥るのです。
50歳の頃、44歳の仲間の人が亡くなり、自分は火葬場までついていきましたね。ご家族にすごい親友だと申しまして図々しく火葬場まで着いて行きました。自分よりもかなり若い人が突然といなくなったわけですので、自分はその時、自分はいつ死んでもおかしくないと思いました。
孔子は、「朝に道を聞けば」と書いた頃は相当の年です。ちょうど、十翼を書いた頃だと思われますが、もっと年をとれば、自分より若い人が去って逝くと本当に深い恐怖に陥ることだと自分は感じます。まるで、明日は自分の番がすぐに来るかのようにと…
しかし、流石に孔子です。死は恐れていないようですね。
道を悟れば、つまり、人間社会の中でもっとより良い生き方ができればと、昨日、私の水曜日教室では、二人の哲学者と哲学中退の私と一緒に太極の道を探求しました。結果、太極は人生そのものですとの結果に至りました。
古に太極を修練された方は、脳から神経、神経から筋肉または、筋肉から神経、そして脳への人間の気配はほぼなくなります。
道の最終的な段階は、人間がいかなる社会の雑音も聞こえなくなり、いかなることがあっても自然体で行動できることです。
まあ、近代社会とはかなり異なりますね。
時間はかなりの速度で過ぎて行きますね。もう来年はパリ五輪になります。この一年、多くの人は五輪の興奮で人生を楽しまれるのですが、スポーツの祭典のある年はいつもあっという間に過ぎます。
遊んでいる時間は私にも、あなたにもないと思います。
呉式太極拳上海鑑泉社東京授権点、北海道授権点、北海道札幌雅山教学点。新規会員募集中。
偵察はお断りします。

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