第368話 一寸先
- 2016/08/25
- 00:02

日本語で一寸先と言ったら僅かな寸法の変化と説きますが、実際のところでは、一寸はそんなに細かい寸法の変化ではないです。
日本語で申す「一寸先は闇」はもしかして、寸法がまだ、一尺一寸しかない頃の諺ではないかと感じております。
ところで、私の専門である太極拳は一ミクロ単位で感覚が変わりますし、次の一ミクロで何かの欠点や隙が出る気配があれば、上級者ならその前の一ミクロで予測し対応をしはじめます。
もちろん、このような対応はあくまでも相対的な優勢であり、私が今日の多くの学生に前の一ミクロの先読みが出来ていても、以前の師の手にかかったらいとも簡単に読まれてしまいます。
ミクロ単位での太極拳全般に貫通していくのならば、まずは太極拳慢架の基本である「静、軽、慢、切、恒」が大切ですね。
落ち着いていますか、動きが軽くしていますか、ゆっくりと動いていますか、動作は確実でしょうか、加速度がないでしょうかとの五つの基本です。
慢架の中でこのように修練できていれば、一定の内面的な動きが現れるはずです。当然、一定の年数がかかります。例え、健康だけがお望みの方も太極拳は毎日のように修練を続けるべきです。
武術としての太極拳も健康としての太極拳も推手練習が必要です。推手はただ、表演の為に互いに手と手が回せることや力任せで相手に突っ込んでいくことではなく、一つひとつのミクロをどのように振る舞い、相手の一つひとつのミクロをどのように先手で読めることになります。
推手練習では、上級者による喂勁と修正練習が最も理想です。もちろん、一定の内力の持ち主ではないと「喂勁と修正」を説明しても決して行うことが無理です。
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