第433話 ギリギリまで
- 2016/10/29
- 21:47

何回に分けて、生き方と太極修練の関連性を語って参りましたが、実際の太極勁の上級者がどのような人格と人間像で最上級の勁路に迫ったのかを解明することは、多くの太極拳愛好者も興味深々のはずです。
太極もその他の体の感覚の武術に似ていて、体のすべての部分が使われるのが望ましいです。しかも、太極の場合はすべての体の部品がほぼ同じように動き、目立った速度の差もなく、それぞれの動きの方角の差もないならば、自分自身の欠点がほとんど相手に見せずにして相手の欠点がいかにも目立ってしまいます。これはいわゆる、「人不知我、我独知人」でありますね。
そして、体のすべてのパーツが協調されている中で動くことは、太極門の中では俗に申す「棚勁」になります。もちろん、「棚勁」の習得はかなり複雑なプロセスを経ていなければ得られるものではありません。
私が知っている太極勁の巨匠の練習法は二つの共通点があります。
一、彼らはどんな相手に対してもギリギリまで自分自身の隙や断点を見せるのです。言い換えれば、自分自身がかなり不利になった時にも一瞬にして最良の体の状態に戻れる訓練になります。
一、彼らは常に、できる限りの軽い手付きで相手の攻撃をかわす努力します。軽い手を相手をかわすことは、僅かな小さな動きで一瞬にして相手の動き中に染み込む事になります。もちろん、これほどに難しい勁路がないと思いますね。
太極の上級レベルの勁路のためには、常に自分自身をギリギリのせんまで追い込む必要があります。
ご参考ください。
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