第464話 発勁
- 2016/11/29
- 01:34

本日も教室で発勁の話しをしました。そして、推手練習で発勁を見せることもしました。実際、人間は体のすべての力を捨てきるならば、自分自身の力は捨てれば体は自然に 流れ込んでいきます。すべての武術の発勁はおそらく前方へ向かうものだと考えられます。そうすると、基本的に太極の発勁はこのように、力を捨てれば体が自然に前方へいく位の重さになります。本日の実験では、わたくしの会員の方々が感じているのは、わたくしの動きがほとんどなかったとのことでした。まあ、これこそ、太極の発勁になります。
わたくしはこれらを語る際に、いつも陳氏18世の巨匠の方との推手を思い出します。結果から申すと、ほとんど、触るだけの発勁でした。わたくしはその当時も一定レベルの十三勢を把握したものの、あの方が軽く動いただけで全身が浮かされた感じでした。あの勁路は当時の私はあまり、理解できませんでしたが、30年過ぎた今では、自分自身も一応把握しております。でも、しかし、これは太極の中での最上級の発勁とは言えないでしょう。
どんな上級の発勁も基本的に相手に向かうものであるとの認識は、8年前迄は私も99%の方々と同様でした。しかし、太極修練を続けることの中で、「引進落空」の際も自分自身へ向かう発勁ができることを気付きました。かかった方はおそらく一瞬、急に重心がなくなったことで倒れます。そうすると、「今のは何?これは太極拳ではないでしょう・・・」とか、「これはイリュージョンだね・・・」とかの言葉がよく聞きます。「引進落空」の際の発勁は太極の勁路の中でも最上級のものに近いことは大昔の太極門の中ではごく普通に知られていますが、今日になったら何故かその認識度がかなり下がってきたようです。
太極の最も基本的な発勁は、体が自然に伸びていく位の力、まあ、数十グラムでしょう。この位で相手を飛ばすことです。力いっぱいで相手の断点に猛スピードで向かっていく発勁は太極門の勁路とは関係なく、このような発勁はもはや中国武術の外家拳の発勁になります。厳密に申すと外家拳の発勁はまた、それなりの独特な訓練法があります。中途半端でそれを真似しても外家拳とも太極とも言えない位のわけがわからない勁路になり、最悪の場合は体を壊すことにも繋がります。老婆心ですが皆様、ご注意のほどによろしくお願いします。
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