第465話 収斂入骨
- 2016/11/30
- 00:25

発勁のお話しの次はこの話題しかないです。外家拳ならば発勁や速度がすべてのようですが、内家拳としての太極は発勁は一応あるものの、すべての内外の動きを可能な限り体の一番内側へ隠れていく状態への訓練が最も重んじられているはずです。太極の上級者は更に、動きがほとんど確認できないことで知られています。この状態が日々の練習の中で現れてくるのは、筋力をほとんど使わない状態での套路練習になります。
しかし、人間の体のことをしっかりと考えていけば、太極練習の筋力をほとんど使わない状態はどれほどの難しいことだろうかがわかります。その為に、わたくしは会員の皆様に出来る限りの太極慢架を練習するようにおすすめしています。先日の土曜日のレッスンではなんと、二回の太極慢架も練習しました。推手の原点である十三勢も、最低限度の健康維持も、太極慢架を出来る限り練習していくことの結晶になります。津々浦々の太極拳教室では、健康の為なら月二回の練習は当たり前のようですが、太極を専門とする者の見解は、月二回の練習はまず健康維持にはならないとしか申せません。
そして、収斂入骨のような状態の修得ならば、毎日のように40分以上の太極慢架を二回以上練習して数十年の努力は欠かせないです。太極の上級状態である収斂入骨 はかなりの細かい状態で相手のあらゆる動作に付いていくことです。この動きは、自分自身の体がかなりの内外の柔軟と反射が必要すると同時に、人の動きとの相性も問われます。太極の収斂入骨にこだわるなら、一日二回の太極慢架は少ないほうです。
本日の私はこのように偉そうに、「収斂入骨」とやらを大きい口で語っていますが、この状態の維持は私にとっても同様に困難であります。恩師馬岳梁のように生涯に渡って柔の極めを追及し、「収斂入骨」を深める修行は日々の練習はさておき、人間的に太極思想に慕う生き方も避けては通らないことです。このわたくしが足りていないのはおそらくこれです。
スポンサーサイト